この時期になると
胸が痛くなる。心象風景がフラッシュバックする感じ。リリカルになり,センチメンタリズムに首を絞められるようだ。やっちゃんもブログでかいてたけど,桜の咲くころというのは,「うかれぽんちになり,情緒不安定になる」わけだ。今日の気候なら,おそらく今日中に桜が咲くだろう。そうなると,桜を見ずにはおれなくなり,表層では花見をしたいきもちでいっぱいになり,もっと深い階層では,友達の眠る墓地に咲く桜の花を思い出したりしている。
友人が交通事故で亡くなってから,随分と時間が経った。あの時自分の大半が一緒に死んだ気がしていた。千切ったとかげの尻尾のように,それから十数年の時間をかけて徐々に再生しつつあるのだろうか。チルチルミチルのちぎったパンのように,あたしは自分の歩いてきた道に,自分の欠片を落として歩く。それらは鳥に食べられ,風に攫われ,道端で腐って塵となって消える。はたと振り返って自分の軌跡をたどろうとしても,来し方もわからず,ただ無意味な道が続いている。
何かしらに特化することも無くただだらだらと生きてきた結果なのだろうと,その現状をかみ締めてみたりしているけれど,なかなかそういう生き方を選んできた人間には厳しい世の中である。継続は力なりとはよく言ったもんだよね。