目指しているのは
自然な声であること。今日は清水秀子さんのライブをまた聴きに行って、何度聞いてもこの人の声は実に自然でいいと思う。どこかで日本のエラと呼ばれているのも十分に納得できる。そうそう、こんな声が出したい、と思う。選曲も実にタイムリーで今日はとあるバンドとのセッションでバードランドの子守唄とIsn't she lovely、overjoyedとか歌ったんだけど、バードランドとoverjoyedをやっていたし、この間ジャズコーラスでやったコルコバドとかセッションでやったルートとか今度レパートリーに加えたいと思っているラッシュライフなんかもやっていた。
ライブがはねた後に、秀子さんとちょっと話をして、ラッシュライフやりたいんですよね、という話をしたら、「この間のスプリングといい変な曲好きだよねぇ」と笑っていた。確かに、変な曲好きだなぁ。
今われわれが呼ぶところのスタンダードというのは、われわれにとってのスタンダードじゃない。だから、あたしは60~80年代の曲をやりたいと常々思っている。スティービーやキャロルキングなんかがそれ。ジャズ風にアレンジしたら面白いだろうと思っている曲が結構あると思うんだが。
実際スティービーは変声期前にいわゆるスタンダードをボーイソプラノで歌ってるアルバムがあるらしい。つまりは彼のベースにジャズというのはちゃんとあるわけ。あのあたりはモータウンなんだろうけど。モータウンだとあとはチャカカーンとかもそうだなぁ。彼女はエラのカバーをしてたりするから、今われわれが聞いているモータウンをジャズ風にアレンジしたらぴったりだと思う。モータウンの彼らからしたら、ジャズへの回帰っぽく聞こえるのかな?あたしには新鮮だろうが。
数日前から飛散している花粉の種類が変わってきていて、結構つらい。そうだ、飛散で思い出したけど、今日は昼間に「伝染」じゃなかった「感染」を見た。ドイツ観念論か!カント様か!赤いと思っているのは脳の信号によるものだ、つまりは脳によって赤く見せられている、みたいな話が出てきていて、なんかこの手の話最近よく耳にするなと思った。この手の話ってのは、ドイツ観念論的っちうかカントの認識論的な話ね。色眼鏡を生まれながらにしてかけていてそれを通してみるから世界が見える、っていう、例のあれですよ(って、何だその例の、ってのは)
で、感想として言えば、中途半端だった。怖いんだか怖くないんだか。本編始まる前にみたテレビドラマシリーズのホラー番組ビデオ化!っていうののCMのほうがはるかに怖そうだった。三國連太郎もそうだけど佐藤浩一ってだんだん変になってく役とか似合うね。トレンディードラマとか色物とかお医者様とかそういうのよりも、壊れていく人的な役をやってるときは結構はまってると思う。まぁ、すーさん様の貫禄が出てくるまでは、しばらく壊れ行くヒト的な役をやっててほしい。ちなみに、あたしは彼の唇がどうも好きになれない。でもきっとトランペット吹かせたらいい音が出たりするかもしれない。パープー。