グルーピーの気持ち
今朝夢を見た。なんだかでかい会場でライブをやっているんだけど、声が出ないという夢。本当に怖くて、声が出ないことに対する恐怖ってすごいんだなと思った。
で、おきて洗濯三昧。今日は31度だそうな。本当か??昨日練習をもう一度したら、今日やる曲の1曲がキーがあってない、というか「ずばりそのキーでしょう!」ってキーじゃないことに気がついて、反省した。もちろん、それはあたしの主観であって、聞くヒトはそれでいいよ、と思ってくれるのかもしれないんだけど。
曲のキーを決めるのって、難しい気がする。みんなどうやってるんだろうなぁ?なまじっか低い音が出るもので、それは両親からいただいたありがたい才能だと思っているけれど、低い音にあわせがちなんだけど、ベストの音ってのは実はあまりみんなと変わりがない気がする。あーぁ。
久々にグルーピーって言葉を聴いた。かなり大きくなるまで、グルーピーと聞くと、グッピーを思い出していた。グッピーなんて飼ったことないけどな。グルーピーにもなったことないけどな。グルーピーってちょっと音的においしそうだ。
グルーピーってのは結構大変なんじゃないかと思う。母集団が大きくなればなるほど、要するにせめぎ合いが激しいわけで。でも、どうして追っかけとかできるんだ?追っかけて追っかけて、こちらを振り向いてくれるのを待つってわけ?うーん。大変そう。
あたしは一緒にいて落ち着くヒト、話の面白いヒト、落ち着いているヒト、いろんなアイデアを出し合えるヒト、あたしと違う視点を持っていて「お、こいつおもれーな」と思えるヒトに興味があるので、そもそも手が届きにくいヒトとはそういう人間関係を保持できないので眼中にないなぁ・・・。しかもさぁ、手が届きにくいヒトに恋しちゃったりすると目も当てられないわけで、おたおたしちゃって自分らしさなんてアピールできないぜぇ。と、恋するグルーピーの気持ちを考えて、ちょっと切なくなったりするオトメなのでありました。