ダイオキシンと生ごみ
昨日の夜に,誰かのブログを読んでいて生ごみを燃やすとダイオキシンが発生みたいな事が書いてあった。「そうか,じゃぁ明日の朝は生ごみを減らすべく,セロリの葉っぱを炒めて食べよう。」と思って,実際目が覚めてから,その通りにしたんだけれど,作っている最中で,ほんとかな?と思い始めた。
いやいや,調べてみると,正確に言うと焼却炉でごみをもやすとき,塩素を含む物質が不完全燃焼したときにダイオキシンが発生するとか。何を燃やしてもダイオキシンが発生するわけじゃないんだね。でも,生ごみを減らすように,食品の廃棄率を減らすという心がけはあってしかるべきなので,ダイオキシンを減らすためではなかったけれど,よしとした。
昔横須賀の丘の上に住んでいたとき,生ごみは「裏庭に穴を掘って埋めるもの」「いつか土に還るもの」「茗荷が大きく育つために必要なもの」という認識だった。生ごみを捨てるという母親の後ろを赤い長靴を履いてくっついて歩いて,埋めた後にかぶせた土の上からぴょんぴょんと踏んで固めるという作業がとてもすきだった。今は生ごみも焼却されるわけで,案外気にせずポイポイと捨てる。ちゃんと土から出てきたものはほんとは全部食べられるはずなんだろうが。かつては廃棄率の計算とか趣味でしてたけど,いまはしない。
便利な世の中になる。流れがスピーディーになる。すごい,万歳!と言うわけにはいかんのだね。利便性を追求すると,その弊害がちゃんと待ってる。すごい大きな視点での作用反作用。星新一の作品に何でも投げ込んでオッケーな穴の話があるんだけど,あれはすごくいろんな示唆を含むすごい作品だと思う。何でも投げ込んでオッケーだと解ると不法投棄が始まって,核爆弾とかまで捨てちゃうんだった気がする。でも,あるとき一番最初にボールかなんかを間違えて穴に落とした人の上に,落としたボールそのものが降ってきて・・・後は推して知るべし,と言う話です。題名は忘れた。しかもこの作品の話はどっかで書いた気がする。世にも奇妙な物語?だっけ?でも映像化されてた。確か長さんが出てた。違ったかな?
ダイオキシンの話を考え始めると,レイチェルカーソンの沈黙の春を思い出す。
沈黙の春
これは生体濃縮について書かれた本だと解釈していいと思う。最初はサスペンスだと思って読んだ人が沢山いたらしく,非難ごうごうだったみたいだけど。確かにライトな読み物じゃないし,すごく考えさせられるし,問題提起本なんだけど,読んでしかるべき本だと思っている。ちなみに,この本についてもどっかでかきましたね。
日本では有吉佐和子の複合汚染かな。大学の先輩だった気がする。
複合汚染
ちなみに,セロリの葉っぱを炒めたものは,とても美味しかったです。