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2004年09月02日 アーカイブ

2004年09月02日

ボロクソワーゲン

 銀杏爆弾の話で思い出したんだけど,兄貴や姉貴たちと1回だけ銀杏を拾いに行ったことがある。記憶が定かじゃないけど,あたしと姉貴は学校が休みで,兄貴たちは学校のある日,の早朝だったと思う。なんで銀杏を拾いに行ったかは覚えてないけど,きっとかこちゃんが「楽しいからみんなで拾ってらっしゃい!」みたいに送り出したに違いない。そう考えると家の母親はのせるのが上手くて,なんか提案されると純粋にものせられて,えー楽しそう!ってことになりわくわくしながら行くことになる。

 多分その日もそんなのりだったんじゃないか?兄貴たちの小学校は歩いて15分ぐらいのところにあり,早朝となると誰もいない。ビニール袋と割り箸を持っていざ出陣。出陣と言えども門は開いてないからブロック塀を越えていかなきゃならない。兄貴たちに登らせてもらって,ようやく塀の向こうへ。着地した瞬間からくっさいのなんのって。鼻曲がる。でもすごい並木があるからたちまち袋は一杯になる。とっていいんだか悪いんだか,多少の後ろめたさがあるから,誰かがきそうな気配がするとみんなでどきどきしながら拾っていた。

 まぁかなりの量を拾って,いざ帰ろうかというときに,学校の先生だか守衛さんだか,とにかく誰か分からないけど来たらしい。あたし以外は逃げ足が速いし身長もあるからさっさと走ってにげていき,学校のブロック塀もするすると登って向こうの道路に飛び降りた。みそっかすだったので,逃げはしたけど塀が登れない。状況がわかんないけど逃げなきゃやばい,ってことだけ頭にあるからブロック塀の隙間から見える兄や姉を見て,焦った。どうしよう。

 そのときに,目の前に色あせた車があった。まさか車によじ登って塀に移るなんてことをその直前まで思いつかなかったから,壊れちゃったらどうしよう,見つかったら絶対怒られる!とか思いながら,それでも背に腹は変えられないので,ずっくでボンネットによじ登り,壁に何とかよじ登り,向こうの道路へとび降りた。もう,半べそでしたね。生きた心地もしなかった。大げさな(笑

 やっと落ち着いてきたときに,としくんが,どうやって壁登ったの?ってきくもんで,答えたのが,

「そこに水色のボロクソワーゲンがあったから,それに登って壁登った。」

 そしたら兄貴や姉貴はなぜか大爆笑。怖かったし理由もわかんないから,頭の中?だらけなんだけど,なんで?ってきいたら,ボロクソワーゲンじゃなくてフォルクスワーゲンだったのね。ぜったいボロクソワーゲンだと思ってた。あまりにインパクトが強くて,それからしばらく忘れなかったね。ビートルはいまだにあんまり好きじゃないけど,後々自分がフォルクスワーゲンに乗ることになるとは,そのときは思いもしませんでした。あたりまえか。

 で,銀杏を大量に持って帰ったら,おばあちゃんがそれに触ってかぶれるし,匂いはすごいし,多分かこちゃんは怒られたりしてたはず。かわいそうに。でも楽しかった。かこちゃんの思いつきで面白かったことは他にもある。おじいちゃんが釣りにはまってたから,どうしても真似がしたくてかこちゃんに相談したら「池の鯉を釣ればいい」という。今もあるのかどうかわからないけど,鯉の餌に「スイミー」っていうのがあって,スイミーを荷紐で結んで棒の先にくっつけて釣ることを思いついてくれた。ちょーーーーーー楽しかった。だって釣れちゃったんだもん。鯉が。

 で,珍しくその日早く帰ってきた父親に「聞いて聞いて!!!池の鯉で釣りをしたよ!」って言ったら,優しく笑って話を聞いてくれると期待していたのが,みるみる顔色が青くなる。「げ,やばい」と思ったら「お父さんの大切な鯉で釣りをするなどもってのほか!」だそうな。「で,でもかかったけどちゃんと放しといたよ」とか火に油のフォローを入れてみたりした。かこちゃんはその後とっても怒られたそうで。あはは。

 

実況中継付き

 で親知らず抜いた人ってそうそういないと思う。ついでにいうと,実況中継つきで親指の爪の手術をした人も少ないと思う。幸か不幸か,両方とも実況中継つきだった。ありえない向きに生えてくる親知らずを抜く手術ほど,大変な手術はないらしい。あたしの下あごの親知らずはきれいに前向きに生えてきてて,どうやら抜いたほうがよさそうだった。

 何年か前の4月だか5月だか。そんな季節に,最初は個人の歯医者さんに行ってあごが痛いっていう話を相談したんだったかな。あれ?違うな。児玉ハハがエナメル質の塗装の話を教えてくれて行ってみたら,あごから変な音がするっていわれて,顎関節症かもしれないからと職場の近くのでかい病院を紹介してくれたんだった。帰りに歯医者さんにしか置いてないキシリトールのガムを買って帰った。レア物好き。

 そして紹介されたのが依田先生。依田先生は体もでかくて熊みたいな感じだったと記憶しておりますが,顎を見てもらったら,顎じゃなくて親知らずが問題だと言うことになり,そんなつもりで行ったわけじゃないがさっさと手術の日にちを決められてしまったわけ。

 行ったよ抜いたほうがいいって言うから。行ったら可愛い若いギャル先生がいて,依田先生はおもむろにあたしの親知らずの構造とその手術のやり方をギャル子に説明し始めた。む?と思ってたら,む?って顔をしてたらしくて,その場で依田先生曰く「きみはだいじょうぶだよね?」って言われてなにが大丈夫なんだかよくわかんなかったんだけど,しかもなんで「きみは」だいじょうぶだと思ったんだかよくわかんなかったんだけど,要するに研修医に実況中継つきで手術をし始めた。

 虫歯がないから歯医者にいったのは小さいころの歯磨き講習ぐらい。この歳で歯医者にかかったことがないってのもなんだかなーと思って,「なんかないですか?」ってかかったことはあったけど,そのときは「冷やかしに来ないでください」と言われて追い返された。だからちゃんと治療で歯医者に行くのは初めてで,見る物すべてが目新しい!なんじゃこりゃ。の連続。おーここ押すとみずがぴよー!ちょーたのしー!なんかで見たとおりじゃん!麻酔の注射はその器具が怖い。ちゅーにゅーされていく感じもまた妙な感じ。まぁでもごりごりがりがりやられながら手術は終わった。

 消毒してくださいとか,運動しないでくださいとか,お風呂はどうのこうのとかなんとかいろいろ説明を受けたから,「お酒飲んだらどうなるんですか?」って言ったら「血が出ます」っていうわけ。「なんだ,血が出るだけなの?じゃあのんでもいい?」って聞いたら「多分すごく,痛みますよ」といわれて飲まないことにした。次は抜糸ですね。っていうわけ。それも言われるがままに行ったよ。

 その当日もギャル子はいた。「抜糸はね,」と語りだした依田先生,「麻酔を打つわけ。で,まず最初にここに打てば・・・痛くない」ぐさ。ぎゃーーーーーーいたいっちゅーーーーーーーーねん!!!!!「痛いよ依田先生」って言ったら「あ,ごめん痛かった?」とかのんき。じゃーここだな,と次に打ったところもちょーいたい。ギャル子は依田先生とあたしの掛け合いが可笑しかったみたいで,可愛い顔して笑ってやがった。

 で,抜糸は「ギャル子さんやってみて」って依田先生に言われてギャル子の名前を忘れたけど,ギャル子がやった。不器用で,まーしかたないけど,それで金取るなよ!っておもいました。でもさー普通空けてる口の中で2人分の手作業はできないでしょーが。口の中に入れたままの器具のやり取りを熊とギャル子でするのは勘弁して欲しかった。

 全部終わったあとまた今度来たらギャル子が対応すんの?ってきいたら,そうかもしれません,次は私が抜きますよ!とかのたまっておった。10年早いわ!こら!ぼけ!と思いましたが,可愛い顔して痛いことしないでね,といったら,えへへ,って笑ってた。なんだかおっさん気分だった。

 どうも何をしても大丈夫な患者だと思われることが多い。あるとき蕁麻疹が全身に出て,困ってあたしが「やぶ」と呼んでいる近所の医者に行ったとき,やっぱりそこに若いギャル子がおった。アレルギー検査をするから採血しますっていうわけ。「痛くしないでね」っていったら「わかりません」って笑いながら答えられて,まずは1本目のアンプルに採血。2本目に取り替えるときに,変えのアンプルがころころと机の上を転がって机の下に落ちてしまった。あらら,と思ってたらさしっぱなしの針を彼女は持ったまま!下のアンプルに手を伸ばすわけ。おいおい!ぐりぐり,ぐりぐり。って痛いですが・・・。そしたらはたと目を上げたギャル子と目が合った。彼女はしまった!という顔をして,机の上の他のアンプルが仕舞ってある引き出しに手を伸ばしたわけ。最初から,そうしてくださいよ・・・とほほ。と思いつつ,二人で苦笑い。やっぱり「やぶ」なんだ,という結論に達したのでした。

 

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