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2005年05月31日 アーカイブ

2005年05月31日

雨はふる。お金は来ない。

 朝ごみ出すつもりでおきようと思ったら、すごく雨が降っている音がしたので、やめて2度ねした。でも午後から急に打ち合わせが入ったので、あんちゃんにメールを出して、お茶の約束の時間をずらしてもらった。
 土曜日だったかな、福井さんからキャッチを考える宿題をいただきまして、あれこれ考えているのがとっても楽しかった。こういう仕事もしたいなぁ。なんて思っていたら、ひょんなところから文章を書く仕事を手伝う話が来て、まじで、涙が出るほど嬉しかった。あれこれ考えていても、やっぱり文章を書く仕事、文字を扱う仕事は好きだ。ジャーナリストみたいに時間との勝負とか内容の鮮度の勝負となると、ちょっと違うんだけどね。なにせ、ほらロースターターなもんで(笑)
 で、打ち合わせ後にあんちゃんとおちゃしてて、雨降りで寒かったのも手伝って、ちょっと焦ったりローになったりしてたんだけど・・・。あんちゃんと話していたらちょっとは元気になった。ありがたい。
 うちに帰ってきて菅原さんがつれづれに書き込んでくれていたので返事を出して、菅原さんの演奏スタイルが、楽しそうですごくよかったなぁと思い返していたら、さらに元気になって、歌を歌っていたいなぁ。文章を書く仕事をしたいなぁと、改めて思ったわけ。あれやりたいこれやりたいとか思っている今のあたしはかなり幸せもんだよなぁ・・・。
 いつだったか、まーちゃんが「口に糊するためにただ稼ぐよりも、たとえ余りお金にならなくても自分の本当にやりたいことをちゃんとできるのは、すごく幸せだし貴重だ」みたいなことをいってくれたのを思い出して、あー今のあたしって、もしかしてその状態??えーってことはしあわせもんじゃ~ん、と脳天気度が増してきた。
 結局最後はそれかよ、とあと一人のあたしが毒づいている。ははは。

なんとも・・・

 二子山親方が亡くなった。ファンだったので、かなりショック。

山月記

 久しぶりに中島敦の山月記のことを思い出した。何度も読んでは涙した話。難しい科挙を受けて役人になったものの、どうしても詩人になる夢を捨てられなかった男が、ついには虎になって野山を駆けずり回る身になる、という話なんだけど。
 この話はたしか高校の教材にもなっていた気がするけれど、授業で習ってしまうと、初めてこの話を読んだときに受けた悲哀の情を切り刻まれた気がして、居心地が悪い気がしていた。中島敦と虎になる主人公が、あたしの中では結構かぶるところもあり、なんだか読んでてとっても哀しくなる。だけど、情景描写、感情描写がすごい。
 夜何者かが自分を呼ぶ声がして、庭に駆け出して、どんどんかけていったら、自分の手足が土を駆り、獣の肉を貪り、血をすすり・・・と虎になった自らを回顧して友人に告げる主人公の姿は、人の心のもろさ、を表現しているようで、なんとも考えさせられる。
 人の心は、薄氷で覆われているとてもはかないものだと思う。とても強いと思う人が、とても弱かったり、弱いと思う人がとても強かったり。何かの拍子で壊れてしまったり。本当は、自分や他人の心の弱さを知るべきなんだと思う。その弱さに甘んじろといっているわけではなくて、弱いことを理解すべきなんだと思う。自分自身で折り合いがつかなくて、自ら心を閉ざしたり壊したりする人もたくさんいるし、そういう危機的状況になっていることすら気がつかずにいる人もたくさんいる。知らず知らず人を傷つけていたりすることも。
 人の精神構造のシステムは、いろんなものが作用しあって生じるだけにうまく捉えることができない。心だと思っているモノは「はいこれが心です」と取り出して目の前に提示することが出来ない。心は心臓だとか心は脳だとかそういう議論があるけれど、心臓や脳は肉体の一部であるに過ぎない。たとえもし、心臓や脳が心という作用を生み出しているのだとしても、器官を取り出すことが出来てもその作用を目の前に提示することにはならない。だから人はあれこれ憶測したり邪推したりしてなんとか心に迫ってみようとすることもあるのだけれど、形のないものに何の意味を見出せるというのだろう?
 そもそも心について定義しにくいのに、人は作用としての心の動きに左右される。そう考えるとなんと人という生き物は、不安定で、危うい存在なのだろうか。
 

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