無駄はなくていいけど、遊びは必要。って、遊びって無駄な部分?思いついたように物を捨てる癖がありまして、山のような本を捨てるかどうか迷っているときに「遺伝子治療」とかいう本が何冊か・・・これは去年?参加したつもりでいる科学ジャーナリスト塾のお題が遺伝子治療だったから勉強しようと思って研究室から借りっぱなしになっていた本なのであった。あはは。勢いあまって捨てるところだった。あぶねぇあぶねぇ。
物を捨てるというのはそれにまつわる関連性も捨てるということになる。遺伝子治療や哲学関係の本を捨てようとしていたあたしは、つまりは研究という関連性を捨てようとしているわけだ。実家にはまだ哲学書とか結構あるんだけど、ほとんど見なくて帰るたびに捨てちゃおうかなぁと迷うんだけど、捨てないところを見ると研究に対して若干の未練があるわけね。
で、研究室に本を返しに行ってきて、今日は結構寒くもなく暑すぎもせずいい天気だとのほほんとして、その後家にこもって歌を歌ったりしていた。で、ふとPCの手元を見たら電話代の引き落としのお知らせが来ていて、明細をみたらキャッチーだのナンバーだの使いもしない機能に対してお金を払っていることが判明。って、今頃気づくあたしもあたしだが(笑)電話してやめてもらった。実際イエデンはほとんどつかわない。イエデンの親機自体1年ほど姿を見ていない。というか、見えない場所にしまいこんである。子機があればいいって事で本体はすみーの方に追いやられているわけなのね。でも、子機もベッドからは遠いからほとんど取らないし、その癖を知っている親や友人は大抵携帯にかけてくるし、まぁ、うちのイエデンは結構可哀想な存在である。
イエデンに限らず結構我が家のいくつかの家電製品たちは可哀想な目にあってるのかも。本来の役目を果たさずにオブジェとしてしか存在しない。じゃぁ、なくせばいいかというとそうでもない。特に、友達から借りているテレビ君は、90%オブジェになっているけれど、その残りの10%でDVDやらVHS再生とかに使われるわけ。だからないと困る。入居したときに大家さんがつけてくれたエアコンも、1年近く使われたこともなく、コンセントも抜かれたままである。でもやっぱりないと困る、だろうと思う。その、ないと困るに付き合って、いつしか電源が入れられることを待ち続けるテレビ君とエアコンは、なんというか従順でえらい!
無駄のない生活がしたいなぁと思っているけど、だったらその腹の肉何とかしろよ、とか心の中で誰かが言っている。聞かなかったことにしよう。でも、ジェニロペの腹はしまっていてよろしかった。縦割れはいつしか遠くになりにけり・・・えへへ。