誰にも知られずに納屋を焼くことについて
まず、第一にそんなことをしたら、放火魔になるわけだ。だからあたしはしない。伊坂幸太郎の重力ピエロを読んでいて、放火について考えた。二番目に、火に対してあまり興味をそそられないので、放火をしたい?しよう?と思う気持ちが理解できない。だからあたしはしない。
ハルキの短編に「納屋を焼く」というのがある。主人公の女友達がアフリカに行って、現地で彼氏になった男性と一緒に日本に帰国するんだけど、女友達と彼氏が主人公の家に遊びに来たときに、その彼氏なる人物が「時々納屋を焼くんです」と葉っぱを吸いながら言うわけ。そもそもその話が載っている短編集が好きなので、必然的によく読んだんだけど、ちょっと不可思議で面白い話。
題名からして面白い。この題名を見た瞬間、ああ、ハルキはフォークナーが好きなのか、と思った。スコティーフィッツジェラルド、フォークナーはあたしも好きで、それが理由でハルキがますます気に入ったぐらいである。で、納屋を焼く、は有名なフォークナーの作品。
話を戻す。アフリカからきたその彼氏は、時々納屋を焼くわけだ。誰にも必要とされていない、焼かれるべき納屋を、誰にも知られずに。ぱちん。だけど、「誰にも必要とされていない」納屋がどうして「誰にも必要とされていない」とわかるのか、とか「焼かれるべき」なのは何のために「焼かれるべき」なのか、とかそういうのを考え始めるとぐるぐる思考が回る。
で、主人公はその次のターゲットの納屋近所で見つけたと彼氏が言った言葉をうけて、どれだろうとジョギングしながら探して回るうちに「これは誰にも必要とされていないな」とか「これは燃やしちゃってもいいな」とかそういう風な目で納屋を見始める。数ヵ月後に彼氏に会うと、納屋はもう燃やしたといわれる。それと時を同じくして、主人公の女友達もぷつりといなくなってしまう。
いまだに納屋は何のことだったんだろうと時々考える。現実問題として、誰にも知られずに納屋を焼くことなんか無理だよ、と思ったりするんだけど。ちなみに、短編集の中の蛍という作品が好き。