お好み焼きを食べて考えた午後
飯田橋までいって,お好み焼きを食べてきた。なかちゃんが最近はまっている広島風お好み焼きやさん。つるちゃんいわく「なんかめぐさんの日記は食ったはなしばっかりっすよねぇ」だそうで。そうなの。だって食いしん坊なんだもん。さらに最近胃拡張になったらしく,食べてばかり。やばいかも。いぇーい。
飯田橋のえきにおりたら,神楽坂まちとびふぇすたのポスターがいたるところに張ってあって,お祭りムードでした。街とびフェスタはいろんな学校のジャズバンドなどがいろんなところで演奏をしたりしてちょっと面白い雰囲気。赤城神社もからくり座や古今亭円菊師匠の落語をやったりする。って,実は落語好きだったりします。昔はよく落語を聴いていたなぁそういえば。
さてはて。先日の藤沢ライブのDVDを山口さんが送ってくださいました。コメントが可笑しくて「少しは愛想がよくなった」だそうです(笑)実は無愛想が売りだったりします。なーんて。映像がきれいでした。山口さんのクラリネットがなかなかやわらかくて素敵でした。ガラスのまっぴを使っていらっしゃって,余計柔らかい音だったのかもしれません。クラリネットのガラスのまっぴは見た目も美しいです。
映像を見ながら,歌を歌うことについてまた考えていました。歌を歌うのはなんでなのかなぁ?って。Dekoさんは「megは引っ込み思案なのに出たがり」だと言ってくれました。彼女も同じだったそうです。そんなものですかね。小美濃さんは「歌は誰かを感動させようとかって歌うわけじゃないのよ」と実に共感することを言ってくれます。誰かを感動させようとして歌うものじゃないのはすごく理解できるんだけど,だったら,でもなんで歌うんだろう・・・。
時々,pieces of my lifeを表現しようとする。それはあたかも通勤のために玄関のドアを開けて一歩踏み出す瞬間の様でもある。キャラメルファッジのかかったバニラのアイスを一掬い口に含む直前のようでもある。目が覚めて窓を開けて青空にため息をつくときの様でもある。息をしてミトコンドリアが34ATP作り出すときの様でもある。細胞のすみからすみまでいきわたって,ああ,私はまだ生かされている,と思ったりする。口をついてでる音楽は,不器用なままの自分の断片であると思う。
焦らずにのんびりしていたら,周りに実に素敵な人がたくさんいることに気がついた。幸せだと思った。人生は楽しまなきゃ。楽しむためには努力が必要なのだと最近素直に思えるようになった。