トンネルを抜けたら
雪国だった,は潤一郎。昨日から名古屋や岐阜は大雪らしい。先ほど友人が新幹線で大阪に向かう際に岐阜の大雪で電車が遅れているとメールをくれた。仕事の人や現地で生活している人はとても大変だろう。岐阜や愛知は行ったことがない。焼き物が好きなので,美濃焼をみたりするとさぞかしよい土が取れるのだろうと思いをはせることはある。
私は祖父と過ごしている時間のほうが圧倒的に多かったのだが,祖母は趣味で焼き物を作る人だったので,たまに祖母の部屋に行くと石油ストーヴの脇で轆轤を回している祖母の姿を見かけた。隣に座って土が器の形になるのを眺めているのがとても好きだった。もちろん手出しはできないので黙ってじっとそれを眺めていたり,部屋にこもった土の匂いやでこでこと轆轤の回る音を感じながら,祖母の本棚から焼き物の写真が沢山載っている大きな本を引っ張り出して眺めたり,祖母が大事に貯めている焼き物のスクラップブックを見たりして過ごしていた。焼き物が好きだというのはそのあたりから来ているのかもしれない。
中学校の修学旅行で京都の街中を歩いていた。お決まりのコースをめぐって,お決まりのように家族にお土産を選んだりするのが楽しいのやらつまらないのやら。京都は後に一人で訪れるようになるのだけれど,修学旅行というのはシステマチックな流れに則って行われる集団行動なので,まぁそういう集団行動があまり得意でなかったから,ちょっと友人たちのノリに疲労していた。
いくつ見たところでお土産ものやさんなんて,という気持ちもあるものだから,目の前に陳列してあるいろいろなものは感覚には訴えてこない。いくつかお店を回って,疲れたなぁとぼぅっとしていると,担任の先生が「おい,なんかいいものは見つかったのか?」と聞いてきた。「はぁ」だかなんだとか適当にやり過ごして逃げるようにほかの店に入った。そこで,1客の黒楽茶碗に目が行った。たいしたことはないちゃちなおみやげ品だったはずなのに,どうしてもそれが欲しくなってしまった。当時ほかのクラスメイトのようにはお小遣いをもらっていなかったので,修学旅行用にと持たせてもらったお小遣いは,とても大金に思えた。値段を見たら買えないわけではない。だけど,ほかの人のお土産は確実に買えなくなる。両方の祖父母と3人の姉兄,そして両親。
私はその店を出て彼らのおみやげ物を買いに行った。何を買ったのかは覚えていない。ただ,あまったお小遣いは到底その茶碗を買える金額ではなくて,その隣のかなりいけてない茶碗ならば,買える金額だった。でも,はじめに見たほうがどうしても欲しい。しばらく黙って考えていた。
「何かみつけたか?」いきなり後ろから担任の声がした。彼はどうも私が集団行動に馴染めないのを気にかけてくれていたようで,こちらとしてはほっといて欲しいのだがいろんなときに声をかけてきた。普段はそんなタイミングで声をかけられても適当に受け流して干渉を避けようとするのだが,そのときは茶碗に心を奪われていたのでついつい,会話をしてしまった。「いや,あの茶碗がいいなと思って」「いいじゃないか,買えば」「お金が足りないんです」「貸すよ?後でちゃんと返してくれ」そういわれた瞬間,私はいけてない茶碗を買うことにした。そして「いえ,こちらを買っていきます」と言った。
うちに帰ってそのいけてない茶碗をしばらく眺めていた。中学生の私には分相応な気がしなくもない。だけど,はじめに見た茶碗の赤い鉄の入り具合の方が格段によかった。母にそれを話すと,うんうん,と黙って聴いてくれた。母がその茶碗でお茶を点ててくれたかどうかは全く記憶にない。程なくしてその茶碗はどこかにいってしまった。