全てはリンクして
先日知り合いのブログを読んでいて,内面の美しさについて考えた。服やお化粧や持ち物で表面を飾ることは出来ても,滲み出る美しさというのは取って付けることが出来ないし,外から借りてくることが出来ない。言葉で解っていても,実際それを本当に理解できる人が何人いるんだろうか?私は果たして理解できているんだろうか。難しい。
内面の美しさと言うのはどうやって養ったらいいのだろう,とブログの主とコメントしあったのだけれど,美味しい水を飲む?野菜を食べる?よい芸術に触れる?適度な運動?よい文章を読む?掘り下げて考えていったら,ああ,全てがリンクしているのだと,思い当たってしまった。
昔図書館や美術館に足繁く通っていた。クラシックのコンサートにもよく行った。通うという行為が日常であるかのごとく,あえて構えもせず。いつの間にか,足が遠くなり,時々行くにも「美術館に展覧会を見に行く自分」という存在を感じてしまったりして辟易してやっぱりやめたり。自然な流れで心が求める,という状況でなければ,行為自体が飾りと化す。たとえば,美術館に展覧会を見に行く自分という存在を感じる我は,展覧会に行った後で,自分が良しとしないことをやらかしたりする。芸術に触れた満足感とは裏腹に,全く逆のことをやったりする。その辺りには隔絶がある。心の肥やしを自らその辺のゴミ箱に捨てるみたいな感じ?
おそらくそれでは,内面的な美しさは養えない。全てのことが,リンクしている。朝起きてまたその次の朝起きるまで,全て。内面的な美しさを養うというのは,表現の一つであって,それがよい人間であるように努める,とかでもいいわけ。よく悪いことをすると神様が見ている,とか言われた。神様の存在の有無は置いといて,そういう感覚は大切なんだな。「悪いことをすると,美しくなれない。」と言い換えれば,もっとダイレクトに響くかな。