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September 2006 アーカイブ

September 7, 2006

どうなる?!

 気合を入れてキーボードの練習を始めました。なんつーロースターター。最初はコードを押さえるだけなんだけれど,欲が出てきてイントロやエンディングや間奏のアドリブまで手を出して,つっかかって振り出しに戻る,みたいな繰り返し。
 ああ,なつかしんせん。中学校のころはこれ,よくやってたなぁ。コード理論は知らなかったしばりばりクラシックでしたけれど。ピアノの弾き語り(笑)今は引いているジャンルが違うけれど,コードを押さえるだけで新鮮な悦びがありますね。ああ,この響きがきもちいいなぁって。で,指をひとつずらしてみると!をを,なんだかさらに複雑な響きに!!なーんてことを繰り返してみたら,気分はもう弾き語りストですよ。ぷぷ。
 もちろんレパートリーの曲の譜面はもっているのだけれど,旋律だけから自分でルートをとってコードをつけていくという作業をやったりして,あーなんか採譜したりするのも久しぶりだぁと反省しきり。でも,サウンドだけでやっているので「を,これいかしてる」と思ったコードが何なのかすぐかけないところがミソ。もう少し勉強しよーと思いました。
 
 

活字脳再び

 好きな作家を挙げろと言われたら,沢山いる。スコティーフィッツジェラルド,フォークナー,スティーブンキング,北方謙三,池波正太郎,中島敦,安部公房,遠藤周作,村上春樹,カミュ,カフカ。思いついた順に書いてるけれど,到底挙げきれない。挙げ始めたらきっと,中島らもみたいに数ページに渡って書き連ねることになる。
 めずらしく実家に泊まった。実家のよいところはなんといっても本がたくさんあることだ。自分の蔵書もかなりまだ実家においてある。夜更けまで両親と他愛もない話をして,二人が寝静まると一人部屋にこもって本棚と対峙した。何を読もうか。めがねをかけていないとどうも背表紙の文字など見れない。適当に1冊手に取った。
 「弔いの哲学」ちょっと夜中に読むには脳みそを使いすぎると思ったし,きっと朝になっちゃうだろうと思って次の本にした。
 「マイ・ロスト・シティー」嫌いじゃない。いくつか短編を読んだ。実際のところ私はフィッツジェラルドの作品だったら「夜は優し」「リッツぐらいでかいダイアモンド」が好きだ。切なくて,喪われていくものに対してのどうしようもないやりきれなさが漂っている。
 一瞬,寝た方がいいかな,そう思ったけれど,どうしても本が読みたかったので,あきらめてその欲望に従うことにした。その次に手に取ったのが石川達三。「深海魚」という短編集。この単行本はたぶんもう絶版だと思う。小さい子供がいるのに心臓麻痺で死んじゃう母親の話とか,性病を抱えたまま売られていく娼婦の話とか。読みながら,この次読むならもうちょっと爽快なのがいいなと思った。
 父親が出勤の時間になったらしくおきてきた。朝の5時だ。少し寝ようかと思った。横になってみたけれど,脳みその活性があがっているせいで眠れなかった。あきらめて起き出してコーヒーを入れた。幸せだなぁと思った。そのまま読みきれなかった本を数冊袋に入れて自分の家に持って帰った。読書の秋ですな・・・。

これでいいのか

 海に行かずに,夏が終わる。これでいいのか??ボードにも乗らず,潜りもせず,泳ぎもせず,焼きもせず,BBQもせず,夏が終わる。花火だってしてない。うわーん。夏を満喫せずに,すごした気がする。とおもってたけど,毎日毎日Akagi Cafeにいて日々の移り変わりを自然が教えてくれたな・・・。それって大人になったらなかなか感じ得ないありがたいことかも。
 

September 10, 2006

私の体を通して

 最近すごく感じることがある。私は何らかの意味があって生かされている,存在しているのだということ。何も感じないでただ,家族と楽しく思いやりに満ちて過ごしてきた幼少時代,子供なりの社会のあり方で悩んだ思春期,一人で生きていけるんじゃないかと傲慢になっていた高校時代,自分の価値観が揺らいで自己否定に走ってひたすら刹那的に生きた大学時代,あまり何も考えず働いてばかりいた大学院時代,なんとなくただ目先の楽しさを求めて適当に生活してきたOL・秘書時代。いろんな出会いがあっていろんな別れがあって,膝を抱えて眠れぬ夜をすごしたこともあって,涙することもあって,大笑いすることもあった。
 幼少時代を除けば,どんなときも,私は自分が世界や自然や周りの環境から常に孤立した自分を認識し続けていて,うまく相容れないものを感じてきた。否,正確に言うと相容れることを拒絶してきた。芝生の上に寝転がり,川原の石を拾い集め,果てしなく続く海岸線を黙々と歩き,木に登って降りれなくなったり,そんな自分を思い出してすごく懐かしい感じがする。
 今思うこと。私はこの地球や宇宙やすべての環境の中にぽちりと存在して,なんだか懸命に抗っていたり甘えてみたりしているけれど,実に瑣末でちっぽけで,本当はこの私を取り囲んでいる環境の一部でしかないのだと。私が歌を歌うことは,私の体を通して自然のエネルギーが放出されることなのかもしれない。私が息を吸うことは,体の中にエネルギーを通すことなのかもしれない。そう思ったら,なんだか今まで自分がやってきたことはたいした意味はないと気がついた。じたばたしてたけど,結局はそんなところにたどり着いた。
 ああ,ありがたい。私は今日も,自然エネルギーの媒介として存在しているのだ。

September 11, 2006

9-11

 5年も経ったのですね。5年前の今日,私は実家にいて同時多発テロのニュースを知りました。信じられない光景にはじめはうまく理解ができない感じでした。たくさんの命が失われ,貿易ビルは跡形もなくなくなり,何人もの人が現場に向かい救助作業を行い,粉塵による後遺症に悩まされている人がまだまたたくさんいると聞きます。あってはならないことだと強く思います。それなのに,国際社会はいつ勃発するかわからない火種をたくさん抱えていて,経済だとかエネルギーだとか軍事だとか宗教だとかそんな問題が山積です。
 人間はエゴイズムの塊で,「われわれが0から創ってきた地球ではない。」ということを忘れちゃってるみたいだ。はじめに地球があって,人類などずいぶん遅く現れた生物なのに,互いに殺しあったり憎みあったり利便性の追求ゆえに地球自体を破壊し続けたり。本当に,愚かだと思います。そんなマイナスの情熱は,なくていい。配慮と思いやりと愛を持つべき。と,世界の片隅で鼻息を荒くしてみたところで明日起きたら世の中がすべて平和に変わっているということはないのも知っているけれど,今私にできることは個人レベルであれ,配慮と,思いやりと,愛を持って生きるということ。朝ちゃんと目が覚めることができること,その日一日ご飯や水を口にすることができること,歌を歌えること,友人たちがそばにいてくれること,両親に愛されていること,すべてが本当に幸せだと思います。
 目を瞑って原始地球を想像してみることがあります。隕石がぶつかって出来上がった地球という星に雷がなり(今朝みたいだ)何日間も雨が降る(ノアの箱舟の大洪水みたいだ)。栄養分の詰まったスープみたいな原始海洋が出来上がって,そこからひたすら化学反応が連鎖して起こる。ぽちりと自立的に動くことのできる何かが発生する。それがくっついたり離れたりしながら更に大きなものに変わっていく。
 オパーリンという人がいて,一生懸命実験しながら原始地球でどういう風に「生命」が発生したのかを考えていました。コロイド溶液で実験してみたりして生命を机の上で作り出したかったのかな・・・まぁ,彼が唱えた『生命の誕生』論にはいささかの言葉の問題が残されていると思うけれど,命の大切さを考えるには「生命の誕生」という言葉はとてもぴったり来ると思います。
 どうしてヒトが現れたのか,どうして呼吸ができるのか,われわれのこの個体はどうやって維持されているのか,不思議なことばかりです。ヒトは地球を破壊するために現れたわけではないのだと思う。ヒトは互いを損なうために現れたわけではないと思う。ある一面を考えてみる。植物が光合成をして,酸素を出してくれるからこそ,酸素呼吸というすべをわれわれの祖先が何らかのきっかけで選んだから,われわれは息をしていけるわけなのです。もっとミクロな話になったら,われわれの細胞にいる呼吸を司る細胞内小器官のミトコンドリアが細胞共生で細胞の中に存在するようになってくれたから,酸素呼吸によってわれわれの生きていくエネルギーというのは生産されるわけなのです。
 話がそれたかも。つまり,私が言いたいのはもっとわれわれが存在しているという事象に目を向けるべきなんじゃないだろうか。存在しているといっても,周りとのかかわりの中で生かされているという事実に目を向けるべきなんじゃないだろうかってこと。ドライにクールに関係性をたどればたどるほど,地球とか自然とか環境とか歴史とか!そういうものにわれわれは生かされてきたのだと痛感する。だって国際問題でどたばたしても,誰一人地球に存在しなければいざこざなど起こらないわけ。よきにつけあしきにつけすべての思考も消える。理解も反目も。でも現実問題として人間はたくさん存在する。自分だけ利益を追求しようと思い始めるから,不具合が生じるわけです。そう考えていると,人間の愚かしさに情けなく悲しくなります。ええ,自分自身への反省回顧も含めて。

 平和を切に願います。幸せであるように,穏やかであるように。心からの愛をこめて。
 
 

September 12, 2006

Do you like Funk? Soul? Blues? Jazz? 

気がつけばもう秋らしくなってきています
食欲の秋?読書の秋?
ちょっとセンチメンタルになったりして・・・
それもいいけど音楽の秋♪もオススメ,オススメ

ライブのお知らせです

今回のライブは素敵なバンドとご一緒します
後藤さんのSaxに酔いしれたい方,
橋本信二さんの素晴しいギターを間近で聴きたい方,
小泉さんのいかしたドラミングでノリノリになりたい方,
ハモンドオルガンの音を聞いてみたい&見てみたい方などなど
ぜひいらしてください
もしかしたらルーツな曲も飛び出してしまうかも??

9月14日(木) Hot and Cool

オルガンサウンドとグルーヴ感を前面に押し出したファンキーなバンド”ごめんね”と
megの透明感のある歌声の初コラボレーション。

時間 : 19:30~20:30/21:00~22:00
出演 : ごめんね(Sax:後藤輝夫,Gt:橋本信二,Org.諸岡大也,Dr.小泉高之) / Vo
. meg
※ ミュージックチャージ 2,000円

場所は神楽坂にあるAkagi Cafe
http://www.akagijinja.or.jp/shrine/cafe.html
赤城神社の境内にひっそりと佇む素敵なカフェです
皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております

- meg -
http://meg.mond.jp/
http://www.fbody.jp/menkero/

September 15, 2006

MC

 昨日は「ごめんね」のみなさんとコラボライブ@Akagi Cafe。「ごめんね」はハモンドオルガン,Sax,ギター,ドラム,パーカッションのサウンドでいかした演奏をするごきげんなバンドで,吉祥寺Sometimeやギター橋本信二さんのGateoneをはじめとしていろいろなところでライブをしています。
 雨も降っていて寒いから,最初はどうかなぁと思っていましたが夜が深まるにつれて気がつけばお客様はたくさん。ありがとうございました。初めてごめんねサウンドを耳にした方もいらっしゃったかと思いますが,がっちりハートを掴まれちゃったのではないでしょうか?
 私自身はいつもはピアノとベースという構成でライブをしているので,音の厚さが気持ちいいなぁと思っていました。別ジャンルで楽しめました。選曲も橋本さんのギターでどうしてもブルースを歌いたかったのでブルースを数曲織り交ぜながら歌いました。ノリノリのお客様,いかしたサウンド,BGMには秋の虫の声・・・そして,なんとめずらしく橋本さんのMCまで聴けちゃって!幸せでした。このメンバーで10/31にまたライブをやりますのでぜひいらしてください。

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September 17, 2006

La Vie En Rose

人生は
長いようでいて短い
だから目の前にあることをすべて楽しんでしまえばよい
乗り越えられない試練はない
なぜなら
目の前にある試練はすべて乗り越えられるものしか提示されないからだ

胃がきりきりと痛む明け方も
背中の毛がちりちりと逆立つ昼も
心の中の罵詈雑言も
心無い言葉や振る舞いに涙する夜も
無力さに肩を落とす朝も
ふと立ち止まって考えたら
すべて生のエッセンスなのだ

よいことばかりでないと思うことはいかにもたやすくて
いやまてよ
これは次へのポテンシャルになる

人生は楽しい
人生は楽しい

September 20, 2006

懐かしい響き

 Akagi Cafeの改装作業をしていて,昔懐かしいねじ巻き時計を取り付けた。作業をしているときは作業に気をとられていたから気がつかなかったけれど,今日カフェに行ってコーヒーを淹れていたら時計が鳴った。
 私が生まれた横須賀の家では,柱の時計のねじを巻くのは祖父の日課だった。まず夕飯が済むと柱の下にいすを持っていって,時計の扉を開けて右の穴にねじ巻きを差し込んで数回,左の穴にねじ巻きを差し込んで数回。祖父は几帳面な人だったのでまく回数も決まっていたのだけれど,1,2・・・と数えながら巻いていたのだけ記憶していて具体的に何回だったのかは忘れてしまった。そのおかげで,家中寝静まっていようとなんだろうとかまわず巻かれた時計は時を告げた。大きくなってから深夜にその音によくびっくりさせられた。
 祖父がなくなってからは時計は振り子を止め,進むこともやめてしまった。カフェの時計の音を聞くまで,ずいぶん長いことその祖父の日課を忘れていたし,そのころの自分についても思い出すことがなかった。
 今日は16日から続く赤城神社の例大祭の本祭りで,つまり神社の神事だったのだけれど,朝カフェについたら舞台の上でお囃子の演奏をしていた。それにしても篠笛がものすごく美しい音色で響いていた。その音色に母方の祖父が時々吹いてくれた篠笛のことを思い出した。その形見の篠笛は今では私の家にある。いつか吹きたいと思っているのだけれど。
 今日は懐かしい音が響く日だった。猛烈に懐かしくなり,猛烈に祖父たちに逢いたくなった。

no meanings

何もない
何も意味を持たない
言葉も
思考も
文字も

突き抜ける空の青さを
キラキラと輝く木々の緑を
鳴子を揺らす風の清しさを
素足で踏みしめる砂の冷たさを
両手ですくった水の懐かしい匂いを
小さな箱庭で開いた花びらを
じりじりと肌を灼く日差しを

ああ
生きていることに感謝する
こんな雑踏の中で
個である前に人である前に
まだ私は深くすべてにつながっている

やがて燃え尽きてしまうのだから
そしていつか土に還るのだとしたら
日々一瞬一瞬触れるすべての感動を
触れた瞬間喪われ始めるのを知っているけれど
わがままにもすべて感じ取り切り取り手に入れ咀嚼し示そうともがかずにはおれない

でも私は愚かでちっぽけだから
この愛を表現する手立ては
何もない

September 26, 2006

秋の夜長にあなたとジャズを

 ライブのお知らせ。今日はすごい雨が降っていますね・・・木曜日はどうなのかな?スガダイローさんとは初めてご一緒します。どきどき,わくわく。

秋の夜長にあなたとジャズを
Akagi Cafeオープニングイベントで素敵な演奏を披露してくださったベースの谷 克己さんが登場します。谷さん、スガダイローさん、megの織り成すサウンドに乞うご期待!
日にち:9/28(木)
時間 : 19:30~20:15/20:30~21:15/21:30~22:15
出演 : B. 谷 克己 / Pf. スガダイロー / Vo. meg
※ ミュージックチャージ 1,500円

 ライブももちろん聴きに来ていただきたいのですが,先週から粛々と進めておりますAkagi Cafeの改装作業の進捗チェックしにきてください。手前味噌ですが,いけてます。金魚もいます(笑)でも,まだまだ続きます。楽しいプランが満載です。

田中正造

 日本の政治家は,本当に彼を見習ってほしい。最近どうしたら周りの人を巻き込んでハッピーになれるか,ということについてよく考える。たぶんハッピーってのは自分ひとりがハッピーであるよりも周りをできるだけ大規模に巻き込んでみんなでハッピーになっちゃうってのがいい感じだと思う。政治だってそうじゃないかな?できる限り多くの人たちがハッピーで頑張れる状況を作り出すために政治家が国をよくするために頑張る,というシステム。素敵じゃん!だけど,そんなシステム今本当に機能してるんだろうか??
 田中正造は,足尾銅山の鉱毒問題についてずっと訴え続けていた人。亡くなったとき身なりはすごくぼろぼろで,荷物に聖書ぐらいしか入ってなかったらしい。正しいことを訴えるためにすべてを注ぎ込んだ人という印象がある。彼のような生き様を実行できる政治家が日本に何人いるんだろう。彼はある側面とっても過激だったかもしれないけれど,いい人間だと思う。訴え続けたことに私は間違いはなかったと感じる。今の日本の政治家の中で,「ああ,この人いい人だ,彼の言うことは器用不器用にかかわらずとても心に訴えかける」と共感を抱くことのできる人っているだろうか?どうも国会で野次を飛ばすか,発言もせずに居眠りをしていてもすごい額の給料が入る。運転手つきのえらそうな車に乗る。秘書を何人も抱えて悪いことをしたら尻尾きりに使う。そんな人たちばっかりみたい。その給料,誰が払ってるか知ってる??
 日本の政治家は本当に日本のことを考えているんだろうか?日本の国のことを考えているというよりも,考えている振りをして実は自分の懐について考えていたりする人が多いんじゃないだろうか?安部さんに期待したいけど・・・どうなのかなぁ??

September 28, 2006

すべて,愛

 カフェのねじまき時計を見ているといろんなことがフラッシュバックする。いやなこと,きついなぁと思うこと,整理できないなぁと思うことって身の回りにたくさんある。昔は「えい,頑張ろう!これをあたしがやることで誰かが快くなってくれれば」とか思って生活していた。8人家族で暮らしていたときは,「ごはんだよ」とおじいさんおばあさんに声をかけ,おじいさんの部屋からダイニングまでたった数センチの廊下をわたるためにおじいさんのスリッパをそろえる,という作業を自分に課していた。丘の上に住んでいたので雨が降って下界に降りるのは結構めんどくさかったんだけれど,「行かなきゃだめになる」と思って幼稚園や学校に通っていたものだ。
 いつのころからかサボり癖がつき,あんまり人に思いやりをもてなくなった。いつも目の前に2つの選択肢が提示され,いつも「違う」方を選んできた。しっかりと本意でない方を選ぶということはそちらが本意だったのかもしれないけれど。いつもどこかにあきらめやサボりやひねくれた気持ちが作用していた。ねじまき時計を見ていると,ただレトロだと感じるだけじゃなくて,かつてのまっすぐで思いやりを持っていた私の記憶を思い出す。
 最近なぜか,いろんなものにものすごく愛を感じる。いや,正確に言うと,私の中から熱い塊が出っ放しになっている。って,あまり正確じゃないか(笑)その熱い塊が出て行くとき,すべてのものに愛を注ぎたくなる。この感覚は,かつてのまっすぐで思いやりを持っていた私の記憶にもある。ずいぶん路線がずれてしまったけれど,ひょっとしたら私は,あの自分に戻りたいんじゃないんだろうか。と思う。今はいろいろ抱えるものや責任感が増えてきちゃっていて,単純で無邪気というわけには行かないかもしれないけれど。
 植物を鉢に植えるとき,コーヒーの豆を挽いてドリップするとき,紅茶のゴールデンドロップを待っているとき,カフェの壁を塗っているとき,お客様と接するとき,スタッフと話すとき,樹に触れるとき,氷を割るとき,トイレを掃除しているときいろいろなタイミングで「ああ,すべては,愛だ」と感じる。だからなんだ,というわけじゃないけれど。

September 29, 2006

ぐっとくる組み合わせ

 ベース谷克己さん,ピアノスガダイローさんとAkagi Cafeでライブでした。スガダイローさんとは初めてご一緒したのですがすきだなぁスガダイローさんのピアノ。ぐっと来るサウンドでした。そこに谷さんのベースが加わって,すごくいかしていました。Saxの後藤輝夫さんも遊びに来てくれてさながらニューヨークかここは!といったステージ。いやーすごく楽しかったし勉強になりました。
 木曜日だしどんなライブになるのかしら?と思っていたらたくさんのお客様に来ていただけて,本当にうれしかったです。心から感謝いたします。ありがとうございます。愛をこめて。

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