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October 20, 2006 アーカイブ

October 20, 2006

盆栽と魚の目を語る昭和ロマンな日

 今日はライブでした。なんというか,関根さんのピアノはやっぱりすごい!佐藤さんの歌いながらベースを弾く姿にも心を打たれました。インストのI loves you Porgy.とSo Whatはかなりつぼでした。
 さてさて,今週Akagi CafeではLuna-kimono作品展を開催していて,着物や小物の展示会をやっているのですが,今日はその中の1着を着させていただいてライブをやりました。黒い着物なんですが「黒・ラメ・毛物」好きな私といたしましては着ている間もきょろきょろと展示を見たりして楽しみました。先日見たすごくいかした着物がなくなっていたので「あれはもう展示してないのですか?」とお聞きしたら早速売れてしまったそうで・・・。くすん。ともあれ,着物を着ていたのでかなり雰囲気がレトロでした。建物も中身も衣装もレトロでかなりユニークな感じでお届けいたしました。
 今日のライブはLove and Healというお題で,愛と癒しに満ちたライブをお届けする予定が,MCでは盆栽のことや魚の目の話になり,なんというか愛と癒しというよりもギャグとボケに満ちたライブになったかも・・・。いやはや,とても楽しかったです。

すべての事柄は必然である

 最近自然にそう思うようになった。夢多かりし(いや,今も多いけどさ)時代にとある会話で両親と話していたとき,「○○ってすごい,なんて偶然だ!」って感激して喜んでたら,父親が「偶然なんてない,すべて決まってるんだよ」って言った。そのときはなんだか喜んでいた気持ちに水をさされたようで憮然としたものだけれど,それから十数年経った今,すべて決まっているといった考え方にシフトしていることに気がついた。
 ただ,この必然という言葉が当てはまるのかどうかはわからなくて,私というキャンバスがあってそこにどんなパーツをどんな風に配置するかを選ぶ選び方は私という個に依存する,と思う。パーツとキャンバスは誰が準備したというわけではなくて,ここにある(のが決まっている)。つまり,今日この服を着て,今日この場所を歩き,今日こんなことをやった自分の選び方がトリガーになって周りのことがその選択にあるべき形でリンクしていくような気がする。
 そう考えていたら,そのパーツやパーツの配置の選択の仕方で私は自分の進路を決めていることになる。「ああ,今日はよい日だった」「ああ今日はこんな素晴らしい人たちに会えて幸せだった」そう思うのは,つまり自分に依存するわけね。今までは「ああ,今日は(偶然にも)よい日だった」「ああ今日はこんな素晴らしい人たちに(偶然にも)会えて幸せだった」と思っていた。その偶然だと感じていたすべては自分が引き起こしていることならば,一瞬一瞬をもっと慎重に大切に扱わなければならないと,否,扱うというかその選択が自分から滲み出すものだとしたら,もっと慎重に大切に生きていかなければならないことになる。
 自分を大切にするということにあまり重きを置いてこなかったので,こういう考え方にたどり着いてしまったことに正直少なからず戸惑いを感じているのだけれど,ベランダの植物を見るに「土壌がよくなければよい花が咲かないしおいしい実もつかない」わけ。よい花が咲いたりおいしい実がついたりするとそれを愛でたり食べたりする人々はすごく幸せになる。私は私にかかわるすべての人が幸せになればいいと思うけれど,私を介して幸せになるのであれば,私という土壌をちゃんとせずに,果たして私にかかわる人々は幸せになるのだろうか?
 うーん,何がいいたいのかわからなくなってきた・・・要するに,you gotta moveってことかな。準備するのも自分,動くのも自分,ちゃんとしてたら回りを巻き込んでみんな幸せになれるはずだ,ということだ。そうだそうだ。今日もみんなが幸せでありますように。

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