常識が覆された夜
知らなかった。音叉って,みんなA,つまりラの音を出すもんだと思ってた。うちにある音叉,なぜかCだ。それって,ありなの?
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知らなかった。音叉って,みんなA,つまりラの音を出すもんだと思ってた。うちにある音叉,なぜかCだ。それって,ありなの?
あの年の年末は,どうにもこうにもやりきれない,切ない暮れであった。何年前のことだったろうか。もうかれこれ7年ほど経つのだろうか。心臓外科医としては多少名の通った人物であった伯父は,病院で倒れたときに自分の症状について説明をしてそのまま意識を失った。くしくも自分の専門である心臓が原因であった。「突発性大動脈乖離」大動脈という心臓にある血管に傷が付くと,高血圧の人はそこに圧力がかかると水風船のようにどんどん膨らんで破裂してしまうというもの。あっという間の出来事らしい。
私はすでに意識のなくなった伯父に会いに行ったけれど,病院は駅から遠く,周りは無機質で人通りもない。年の瀬でさえぎるもののない道程は風ばかり吹いていた。なんと言えばよかったのか,会いに行ったところで何も出来ることはなかった。暗い廊下や久しぶりに会ういとこと病院特有の匂いと,人工心肺のエアーポンプの音が繰り返されるだけ。なんだか上滑りした言葉を二言三言掛けて,伯父のベッドの近くに行った。手に触れて,話しかけた。何を話したのかは覚えてない。口に出したのかも覚えていない。
しばらくしたらいとこのだんなさんが,もう遅いから駅まで送ろうと言ってくれた。黙って車に乗ってそのまま帰った。見慣れない土地,なれない電車。ずいぶん遠くまで来てしまった気がした。実際,そうだった。伯父が大事にしていたふるいジャガーのことを思い出した。家に着くまで眠ってしまいたいと思った。
家に帰ると母親がいた。伯父さんに会ってきた,といったら,そう,とだけ言った。彼女は彼女の一番上のお兄さんである伯父のことが大好きだったので,毎日毎日心が千切れるような思いで過ごしていたに違いない。
人の上に死は実に平等に訪れる。遅かれ早かれ,私の両親にも,私の兄弟にも,私が愛するすべての友人や恋人にも,もちろん,私にも。加藤茶のように大動脈乖離でもちゃんと復帰できる人もいるし,手遅れになってしまって脳死した伯父のような人もいる。伯母はその後つらい決断をすることになるのだが,時間差はあるけれどその平等性に目を向けると,ほんの少しだけ救われる気がする。
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