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February 10, 2007 アーカイブ

February 10, 2007

あめゆじゅとてちてけんじゃ

 これ,前も書いたかな。書いたと思う。私は宮沢賢治がものすごく好きだ。玄関のドアにはアメニモマケズが貼ってあって,よく出掛けに眺めている。賢治の妹がなくなる間際の詩が「永訣の朝」である。今日は二胡奏者でありシンガーソングライターの芳晴さんのライブを聞いていて,この「永訣の朝」の話が出ていた。涙が出そうになった。かつて,何度も,何度も読み返して,この詩のとおめいさ,せつなさ,哀しさを噛み締めたものだ。
 こんな詩を読んでしまうと,全ての人に愛を持って接するべきだと深く思うし反省する。自分の虚栄や傲慢さやわがままや利己的な部分で人に迷惑を掛けることが沢山あるかと思うし,私はとっても心というか人間が小さいので,多くの人に対しては大抵無愛想である。今自分がとても大切にしている家族や友人やその他の人々がある日いきなりいなくなってしまうとしたら,後悔することは無いだろうか?明日,ちゃんと昨日あったように今が続いていくかどうかは,誰にもわからない。だからこそ,今ちゃんとしておかなければ駄目なんだなと,思う。
 そう考えさせる賢治の詩も,またそうだなぁー斉藤茂吉の歌もそうかもしれないけれど,そういうはたと今の自分のありようを反省させる力を持つものというのは,やっぱりすごいなと思う。時として文章じゃなくても,音楽や,絵や,何気ない人との会話の中でもそういう力を感じるときがある。

感性センサー

 今日ゆうきさんにあったら「最近開いちゃってるね」と言われた。ははは,わかる人にはわかっちゃうんだなぁ。「開ききっちゃう人もいるから気をつけなさいよ」と言われた。はーい。
 開くというのは,んーなんと説明するかなぁ。人はいろんな感性のセンサーを持っていて,たとえば魚の目の中に伸びていく神経繊維や,歯を抜くときに出ている神経やそういったものを考えてもらうといいかもしれないんだけれど,それらはじかにモノが振れると非常に痛いでしょ。それと同様に感性センサーもじかにいろいろなものが触れると過剰反応するわけです。
 よいものが入ってきたときは,非常によい影響を受け,悪いものが入ってくるとものすごくだめっじを受けるという特性があるので,大抵の人々はその振れ幅が大きくないように,感性のセンサーの上にふたをしていると思う。私も大体はふたをしている。だけれど,時々何かの拍子にふたが外れてしまうことがあって,センサーが開きっぱなしになる。そうなると,何を見ても何を食べても何を聞いても誰に接しても何に触れても,ものすごくいろんなものを感じ取るわけで,いつも全力疾走しているみたいな状況になって,正直すごく疲れてしまうのです。
 まぁでも開いているときは得るものもとても多いので,多少疲れたぐらい我慢しろという話もある。いい音楽を聴いてものすごい愛を感じたり,人の心根の優しさに気がついて感動したり,植物に触れて癒されたり。だけど逆に槍が降ってきている中で無防備に立っているみたいな状況でもあるので,マイナスやネガティブな感じにもたやすく傷つけられちゃったりする。
 いいんだか,わるいんだか。最近はそんな毎日です。誰か開き方閉じ方,教えて欲しいかも・・・。
 

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