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April 2007 アーカイブ

April 1, 2007

花散らしの雨

 今日は神楽坂Akagi Cafeでお花見ライブでした。初顔合わせのギター片桐幸男さんとベース木村伸広さんとのライブでした。カフェの周りは桜の花が数メートル離れているのでどうかなと思いましたが,カフェの室内にもお花がちらほらと。ゆるゆると楽しんでいただけたでしょうか?
 1st,2ndと進むにつれてこちらがわくわくとしてきて,楽しかったです。沢山のお客様に来ていただいて,感謝感謝です。ほんと嬉しかったです。心配していた雨も冷たい雨ではなくて,帰り道一雨一雨春になるのだなぁと思いながら歩いていました。皆様の明日が素敵な一日になればいいなとか,そんなことを思っていました。

April 4, 2007

ゴーギャン

 プールに行ってガッツリ泳いでやろうと思ったら,雨が降っている。目標では3キロぐらい泳ぐつもりだったんだけどな。これはおよぎにいくな,ってことなのかな?それとも困難に負けずに頑張れということなのかな。そんなことを考えつつしばらく部屋にかけてあるゴーギャンのポスターを見ていた。タイーチの絵は昔どうも好きになれなかったんだけど,それはあまりに親近感を覚えるからかもしれないと思った。こののっぺりとした質感はいかにも湿度を感じるし,こちらを見ている黒髪の女性は,どこからみても私に似ている。いつかタヒチ行ってみよう。
 で,後ろに流れているのがエディージェファーソン。このオヤジ,いかしてますよ。エディーの前に聞いていたのがビルウィザーズ。この人はバッドボーイな雰囲気をかもし出している。夜遊びしたくなる気分です。夜通しだらだらと酒飲みながら踊り明かしたいような。なんか「いかしてる」とか「エロい」とか「きれてる」とかボキャブラリーが貧困ですね私は。
 そもそも,何で今日はガッツリ泳ぐかと思ったかというと,ストレスフルだ,と思ったからなんですね。人というのはすごく面白くて,満たされていても満たされていなくても自己のおかれた状況で勝手にストレスを感じ始める。最近ストレスフルで,と愚痴ってみて「あれ?なんでストレスフルなんだっけ?」あんまりストレス感じてないはずなんだけどな・・・とはたと気が付いて,自分が今ストレスに感じていることに関して考えてみた。ストレスじゃなくて,今今やらなきゃいけないことが山積なだけでした。さっさとやりゃいいわけですね。雨がやむまでとりあえずさっさとやることを片付けることにします。

April 6, 2007

更新される日々

 今日は随分早く起きてベランダの鉢植えを眺めていた。朝早く起きると街がまだ目覚めていないから,道路の喧騒が少ない。日の出直後の空はまるで伸びをしているようだ。今日はいい天気になる。見渡せばコンクリートだらけでまともな地面など少しも見えない東京の,しかもマンション?のベランダで,ささやかな栄養とささやかな水とささやかなお日様でこの鉢植えたちは頑張っているなぁと思った。この間親株から切り取って植えたイチゴの子株に花が咲いている。なんか,涙が出るほど感激する。
 人一人の力や発想ではなかなか前に進めなかったり生み出すことが出来ないこともある。歌もそう。ある朝目覚めたらホイットニーだのマライアだのノラだのそんな声が出ているわけはない。精神的なこと,からだ自体のこと,その日の体調,気温,湿度,そういうものが全て関係していて,歩みが見えずいらいらする。一日中からだを作り,精神を鍛え,歌を歌い,譜面を書き,音楽を聴き,あれこれ音楽のことを試行錯誤して,という状況には到底いられない。でも,この鉢植えたちもすごく限られた条件の中で花を咲かせたりする。全ての事柄は示唆に満ちている。ひょっとすると昨日ハイビスカスの花が咲き終わって落ちたことも,何かを示唆していたのだ。
 全て起こることは,全てにつながっていて,今日出遭う誰かも何かを示唆していて,今日口にする何かも示唆に満ちていて・・・そう考えると,私は慎重にならなければならない。目には明らかに見えないかもしれないけれど,何かが少しずつ変わっていて,昨日の私は今日の私ではなく,今日のあなたは昨日のあなたではない。でも生というのは瞬間瞬間の断片ではなくて,継続である(と感じさせる何かがある)から,昨日の私があって今日の私があるのだ。ということは,人生を無事継続させていくためには,リセットと継続とセンスが必要だということになる。つまり,昨日のことを引きずっていては今日の歩みは遅く重くなってしまうし,でも少なくともすごくベーシックなところでは昨日と同じことぐらいは続けていかなければならないし,何気なく過ごしていると気づきもしない全ての示唆とチャンスを感じ取るセンスが必要だ。
 コーヒーを飲もう。古くて新しい一日が始まるではないか。 
 

April 9, 2007

癒しというのは

 私は写真を撮る才能も写真を撮られる才能もないので,写真に関する世の中の人々の才能には驚くべきものがあると思っている。そのへんのヒトがパチリと撮っても案外いけてる写真になるではないか。
 昨日私の写真を撮ってくれたもとこさんのブログを眺めていた。疲れていたせいか,なんだかとても写真が美しくて涙が出た。何事にもヒトを癒すチカラは存在するんだなぁ。
 その後はもう今日は何もしまいと決めて引きこもっていた。しまいと決めても後から後からやらなきゃいけないこと,やるべきことがどんどん現れて,「何もしまい」と決めていたのに手を出してパソコンに向かったりしていたので雨が降り出すころにはせっかく癒された心がしなびてしまった。
 ベッドに腰掛けて雨の音を聞いていた。次第に大きくなり土砂降りの音になった。まるでスコールだと思った。思ったら屋久島か東南アジアに行きたくなった。

April 12, 2007

なんといわれようと

 ヒトって,不思議だ。良い印象悪い印象ポジティブな考え方ネガティブな考え方いろいろあるけれど,結局私は「ああ,みんなが幸せであればいいのに」と思う。もちろんなんというか愛情の濃度!的に私との距離によって思い入れは違うけれど。
 ローズマリーというハーブがあってすごく魅力的な匂いがする。知ってる人も多いだろうけれど。ベランダでぐんぐんと伸びているローズマリーの新芽を摘んでいて,ふと「ああ,みんなが幸せであればいいのに」って思った。揚げ足を取ったり人や自分を卑下したり。なんだかいろんなネガティブな感覚って世の中に溢れてる。疲れないのかな?愛情の範囲と方向性によってはすごく狭く,すごく広くなるけれど,すごく簡単なことだよね。ほんとは。ホンワカ優しい気持ちになってたら,愛情のリンクで結構世界は幸せになれるんじゃないか?なんて思っているあたしは能天気かな?でもさー,「愛は世界を救う!」とか言っちゃう人がいるわけだから,私の能天気さ加減もありだよね。あり。
 さてはて,歳を経るごとになんというか,思考が単純明快になっている気がする。「すき」「きらい」「いいかんじ」「よくないかんじ」「きもちいい」「きもちよくない」このあたり。あとは「難しい」「かんたん」とかね。「わかる」「わかんない」もあるか。
 この中で一番よくセンサーとして使うのが「いい感じ」「よくない感じ」かな。職業柄なのかどうかよくわからないが,ヒトと会話をしているといい感じとかよくない感じというのを「感じる」。それが会話の内容,だったり発話行為をしているヒトの体調なり気分なり,そういう部分だったりもするが。でも,この単純さ加減を許してくれる環境に身をおいているという幸せな状況ゆえ,かも。
 昨日私の深く信頼する雇い人と私が精神的兄と慕っているヒトと3人で話をしていたのだけれど,私があれこれ精神的に勝手好き放題感性を放出しても受け止めたり流したりしている二人のさまは非常に居心地よく,なんかこういう空間に身をおけることは幸せだと思った。その幸せを誰かに分けてあげたいと思って,カフェに行ってスタッフと話したりした。
 「ああ,みんなが幸せであればいいのに」こういう考え方ってすごくシンプルで,優しくて,好きだなぁ。

April 13, 2007

いつのひか

いつのひか
またあなたと出会う日があるだろうか
晴れた日の昼下がり
電車に揺られてふとそう思う

公園近くを通り過ぎ
ホームへすべりこむと
はらはら
はらはらと
白い花弁が舞っていく

どうしてヒトは
優しさだけでは生きられないのだろう
憎しみあったり
傷つけあったり
いがみ合ったり
損なう感情よりも
何かを生み出す慈しみと愛情は
今朝目にした草花の芽に似て

思い出は
時間とともに厚みを増して
悲しみの涙を拭い去るかもしれない
誰かを想って
涙する夜は
長く切なく
それが愛情の涙であれば
まだ救いがある

何が大切か
見極めるチカラが欲しい
もっと単純で
もっと直観的で
もっとすばやくて
もっとダイレクトで

そんなことを言っても
つまるところは
愛だと知っているけれど

随分と
あなたに逢いに行っていない
毎年きらきらと桜の花になるあなたは
ここにあり
彼の地にあり

April 18, 2007

空の泣く

雨が降る
しとしとと
冷たい雨が降る

どうせならスコールのように
わくわくした雨であればいいのに

温かみもなく
さすような雫は
どうも気を滅入らす

こんな日は
ろくなことを考えないし
ろくなことが起こらない

あなたに逢いたい
否,逢いたくない

こんな寒さの中では
黙って暖めてくれるぬくもりが欲しい

さて
偽りのぬくもりと
真実の苦言

こんな雨の日に
染み入るのはどちらも同じ

どうせなら真実のぬくもりを選びたいところだが
なかなかどうしてうまい具合に出来ている

雨空を嘆いてみる
この寒さから閉じこもってみる

ねぇ,ヒトを優しい気持ちにさせるのは
そんな手段じゃ駄目なんだよ

追いやられた太陽が
そうつぶやいた

April 19, 2007

心が熱くなります

 感動したというか,前もどこかに書いたかもしれないけれど「ロッキー」シリーズが大好きだ。1作目がやはり何と言っても素晴らしい。そろそろロッキー・ザ・ファイナルが封切される。ロッキーのテーマソングといい,ストーリー性といい,スタローンがやっぱり年老いていてしわくちゃになっているのにすごい筋肉だとか,この映画をそもそも作ろうと思ったという心意気というか,もう,脱帽。もともとボクシングとキックボクシングとかムエタイが好きなので,どうもこういうファイト系の肉体アクションものには目が行ってしまうのだけれど,予告編見ただけでなんだかウルウルしてしまうあたしは単純な生き物だ。映画の中だけれど,不屈であることの潔さってのはやっぱりじんとくる。到底できない。ストイックさというのはやっぱり超越するとすごい形になるんだなぁ。
 とにかく,モチベーションに火をともすのにはもってこいの映画である。ロッキーのテーマソングは「やらなきゃいけないことがたまっているとき」に「円滑にやる気を起こしてがんばるぞーーーーという気にさせる」音楽である。目覚まし代わりに買おうかな・・・。いいなそれ。確実にあたしはリセットされて頑張れる気がするぞ。
 私の中ではスタローンとシュワちゃん,チャックノリスとセガールあたりは案外十羽一からげ的な俳優ではある。が,なぜかスタローンは他の肉体派の俳優さんたちとは違う。それは確実に「一度は打ちのめされてメタメタになるけれど,必ず立ち上がる」という構図を採ることかも。シュワちゃんは若干コミカルで,チャックノリス,セガールはかっこよさを崩さない。そうか。かっこ悪いところまでやったら,後はかっこいいところに浮上することになってんだな。お笑いの要素を入れることで自分を落とすとかかっこよさを崩さないとかだと,共感できる部分がどうしても欠けるというか・・・。
 まぁ,いずれにしろ,歳をかなりとっているのにボディーアクション的映画をもう一回やるぞ!というスタローンの姿勢がそもそもロッキースピリッツだよね。頑張れスタローン!って感じ。

April 22, 2007

歌う場所

 20日に金子マリさんのライブを聴いた。もーなんか,人柄からしていい人だね。でも何よりも,歌を歌っている場所というかタイミングがすごくいい。譜割とか歌詞が聞こえる聞こえないとかそんなことじゃないのね。歌をいかに自分のものにして発するかみたいなもの。ハニーとかすごいよかったなぁ。日本語だろうと英語だろうと,ただの記号だね。歌詞のよさだってあるけど,なんかもう,それは二の次の気がした。歌詞とかメロディーとかそういうのを超越して,繰り出される感情の発露みたいな。うまく表現できません。
 久しぶりに人の歌で感動した。こぎれいなうまさなんて,彼女の表現力の前では意味がない。すごいいい経験した。Duoで見たときよりも遥かにいろんなことを感じた。Duoで見たときはすげーうただなぁと思ったけどここまでぐっときてなかった。彼女と客席の距離かな。空間の響きかたかな?魂を感じました。なんていうか,要するに,いいものはいい,わけです。

腰痛だってのに

 今日はどうしても休みが取りたかった。連日続くストレスでもう限界だ,と思ってしまったから。実際はそんなことないけど,そう認識しちゃったらもう駄目ね。それにKatrinから連絡があって個展をやっているのを知っていたのでどうしても行きたかったのだ。数年ぶりに西荻窪に下りる。大学院を出て以来なので何年ぶりだ?よくわからんが。バスに揺られて善福寺まで。バス停を降りると遊工房アートスペースがあった。おうちみたいなところ。そのまま踏み込むと「すみません靴は外で」と注意される。あ,すみません,といいながらスリッパに履き替えて入り込むと真っ黒な展示が何点か。今回の彼女のテーマは黒なんだそうな。今まではポートレートやカラーにこだわっていたそうだけれど,実際彼女の今までの作品をウェブで見せてもらうとその通りなんだけれど,今回は「黒い魔法使いのおばあさん」なんだって。
 後はカリグラフィー。ほーっとおもいながらそのブックレットになっている作品をめくると脇から「すみません,手袋をつけてください」と言われた。あらら,今日はなんだか注意されっぱなしだ。というか,最近タイミングが合わないことが多いな・・・なんだろう。とか思いながら作品を見て,Katrin本人からあれこれ説明を受けて,世間話をして,神楽坂にも遊びに来てくれと言って遊工房を後にした。
 駅まで歩いて帰ろうか,と思った瞬間,大学に入る間際のことを思い出した。すごく鮮明に,すごく懐かしく。あのときの私の感覚は,「何も期待せず,どうでもいい」という感じだった。知らない街,知らない人たち,なれない文系,なれない女子大。何もかも自分で選んだことだけど,「どうでも」よかった。今までそちらの道しか考えていなかった生物学を捨てて,どうでもよく選んだ道。
 でも,全て今思い起こすと「私らしい」と思う。選ぶべくして選んだと思うし,今ある私は,実に私らしい。今まであったこと,全て必要だったのだと実感する。そんな思いで歩を進める西荻の街は,少し懐かしくてとても新鮮だった。大学時代好きで何度か通ったアンティークショップを探して歩いた。あれ,ここは幼馴染が下宿していたところだと思って携帯で写真を撮って友達に送ってみた。で,結局お目当てのアンティークショップは見当たらず,いろんな店がなくなっていて,新しい店が出来ていて,女子大の前のペーパーバンは健在で,マスターの変わりに息子さんが働いていて,そこで煮詰まったコーヒーを飲んで,その後で女子大の中を散歩した。
 門番がいかがわしそうに見ていた。エリティンさんに似ていた門番さんはいなくなっていた。結構いろんな建物が変わっていて,「なにこの構造」とか思ったりもしたけれど,こじんまりとしていてぐるりと廻るのに30分は要らない小規模さがやっぱりよかった。日曜日の芝生は静かできっと昔は清楚だったんだろう女子大生のかつてありし姿みたいなのを妄想してみたりしてね。
 そこから吉祥寺にだらだらと歩いた。途中で道を間違えてよくわかんなくなってその辺のおねーさんに訊いたら方向はあっていた。よかったよかった。で,吉祥寺で看板につけるクリップライトを探してまわり,結局いい感じのださいのが見当たらず,その後カフェの食器を探してみたり,CDショップに入ったりした。
 相変わらず腰は痛くて,でも雨が降らなかったからいい散歩日和だった。相変わらず仕事の連絡は来て,心配事や考え事が沢山だったけれど,すごいところからリセットされた気がした。そうだな10数年分リセットされた気分がした。リセットというか,なんというか。でこぼこがならされたような感じかな。女子大にいたときはなんだか居心地の悪さとか馴染めなさとかそういうものを感じ続けたけれど,そういう違和感がなくなった。拒絶でも迎合でもなく,受け入れあうような・・・。そんな感じ。きっとあのころは自分を受け入れてあげられなかったんだろうなぁ。今は徐々に,受け入れてあげてる感じかな・・・。そうかもね。

April 24, 2007

自分のライブ

先日からカフェのマネジメントで自分のことは後回しになっておりまして。。。おまけにPCに向かっているときにくしゃみをしたら腰を痛め,原因はわからないけれど蕁麻疹みたいな発疹が1ヶ月ほど発生していてだんだんひどくなっている。
うわーい,違う生き物に変態か??うーん,キングワールドかXファイルじゃんそれじゃ・・・。
 今日の赤坂酒屋バーのライブには女友達が来てくれておまけに北京ダックのお土産ももらった。幸せだったー。ありがとう。正直ここのところ優しい気遣いとか他愛もない会話とかそういうものに飢え切っているので,ことのほか心に沁みた。お嬢様方,近いうちに日ごろの感謝の気持ちをこめてお礼をしたいので,ご飯でも付き合ってください。
 たけのこの話だとかクレソンの話だとか,漫画喫茶で住んでいけるか,コインロッカーはホームレスの皆さんのものだとか,ラーメンズとか!そんな話が面白かった。
 漫画喫茶で生活できるんだ!そうか・・・。ふーん・・・。

 なんて。次回のライブは赤城カフェで28日です。GWじゃん。いぇーい。ノリノリ,のる,のれ,のよ?みたいなライブです。お待ちしてます(笑

April 25, 2007

そんな一言

 昨日の病院めぐりですっかり「ストレスフリー」を理由にぐだらぐだらしている。父親に昨日から電話しているのにつながらない。鬼のいぬまになんとやらか??と思ってあきれていたら,昼過ぎに電話がかかってきた。発疹の話をして,原因はストレスだってさ,といったら「まぁ要するに,単純な生活を送れってことね」と案外のんきに話している。あれ,まーちゃんにもこんなゆるゆるとした側面があるんだな,と思った。いつもは嫌味の一つでも言わないときがすまないみたいなイメージがあったんだが。
 でもそのすぐ後に理由がわかった。「和子まだ帰ってこないんだよ」とちょっと困った風。かこちゃんはシアトルにいったまま月末まで帰ってこない。「さみしいね」というと「さみしいねぇ・・・」としみじみ回答が帰ってきた。「朝5時に送り出してくれる人がいないと大変ね」というと「大変だよ,だから自分で自分を鼓舞して朝5時に送り出しているわけだ」と。「まぁ,大変だけれどお父さんも頑張って」というと「まぁ,大変だけれど,めぐも頑張って」と言われた。
 かこちゃんがいなくて寂しいのだったら夕飯でもご馳走してあげればよかったなと,後で反省した。

April 29, 2007

ミニアルバムを出しました

 すごい雨が降りました。昼間とはうって変わって寒くなりました。そんな中ライブにお越しくださった皆様に深謝です。そもそもゴールデンウィークの初日にこんなに沢山お客様が来てくださるとは思っておりませんで,ライブ始まるまで,おー今日はカフェにお茶しに来てる人が随分多いんだなぁと思っていたら,ライブのお客様だったので,びっくりでした。
 今日はなんとミニアルバム『たね』の発売日でして,納品が遅れていてかなり数時間前まで焦っていたのですが,無事に届いて嬉しかったなぁ。何人かの方にはミニアルバムもお買い上げいただきまして,重ね重ねありがとうございます。
 このミニアルバム,以前も書きましたが昨年の秋から録音やアレンジ,ミックス,トラックダウンなどなど作業を進めておりまして,完成品になるまで若干のトラブルや作業遅延がありましたが,友人たちに支えてもらってなんとか発売にこぎつけました。
 表紙の写真はDATEという死海の緑地化のためにまずはじめに植えるという植物です。その果実は甘くて,過酷な状況下でも緑を砂漠にもたらす第一歩になる木です。そして,青い空と青い海。はじめはひまわりのたねを自分で描いたのですが,中身の音を聴いてデザインしてくれた友人が「ナチュラルな広がりと,癒しを感じた」と言ってくれて海と,空と,はじめの第一歩のDATEの木を選んでくれました。「たね」という言葉はすごく可能性があるなぁとおもって,なんとなくつけたのですが,日に日に好きになっています。初めに描いたひまわりの種は,どこかにあります。CDを開くとわかります(笑)また,20年以上前から書き溜めている詩の中から,私とジャズとの出遭いを書いた詩を中に載せました。あとは・・・あ!写真を撮られるのがヘタな私を愛情こめて撮ってくれたもとこさんの写真も中に乗っています。


 ジャケットや中のブックレット,レーベル面どれも癒し系で,手前味噌ですが部屋に飾りたいです。サウンドもアレンジもいけてます。へへへ。ぜひぜひ聴いてみてください。ご興味のある方はmenkero@nifty.comまで御連絡くださいませ。
 風邪引いたらしく,へらへらしてましたが,かえって力が抜けてたかも?笑える?アクシデントもありましたが,ますます音楽が好きになりました。不器用ですが,しかも好き勝手にやっていますが,またまた自分の中に愛が溢れてくるのが実感されて,世界中の人をハグしたくなりました。音楽ってすごいなぁ。それは自分の音だけじゃなくて,ごめんねのみなさんの音だったり,お店のスタッフやお客さんとの何気ない会話だったり笑顔だったりするのだけれど,みんなハートに火を点けてくれるわけです。
 また明日から頑張ります。愛と感謝をこめて。おやすみなさい。

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