« April 2007 | メイン | June 2007 »

May 2007 アーカイブ

May 5, 2007

小さなお客様

 ベランダのイタリアンパセリが急に背が伸びだした。花芽をつけている模様。下のほうが枯れて来るのでむしっていたら,茂っていたイタリアンパセリの葉っぱの下で何かが動いている。んー??と思ってみてみるとかわいいかわいいヤモリ君でした。「まぶしいからやめてよぅ」って感じで葉っぱの下に隠れようといている。うわー。かわいいなぁ~と思ってしばらく眺めていたら,むしったパセリから芋虫がポトリ。あれ,と思っていたら,「あ!」って感じで気がついたヤモリ君が,スタタタタとよってきて,パクリ。えええええ。こんな箱庭で小さな食物連鎖が生まれてますよ。すごいなぁ・・・。ちょっと感激した。

May 6, 2007

幸せのかたち

今日は従姉妹の結婚式だ。年末に決まった結婚にびっくりしておめでとうメールをしたら「ありがとう、幸せになります」って返事が来た。そんなこと言われたら、こちらがこそばゆい。思わず文面に頬がゆるむ。
 先日ライブにも来てくれて、いつもにこにこしているいい子だけれど、増して満面の笑顔で、見ているこちらもつられて笑顔になった。
 幸せのかたちは人それぞれで、真っ直ぐだったり、屈折したり。でもやっぱり周りの人も巻き込んで幸せってのは、素敵だ。
ネガティブな事柄というのは伝播しやすいし吸引力が強い。そして案外後々まで尾を引く。いつかどこかで聞いた。悲しかった・辛かったといったネガティブな思い出と,嬉しかった・楽しかったといったポジティブな思い出のどちらが思い出しやすいか,といえば,俄然ネガティブな思い出なんだそうな。
 それは当っていることかもしれない。だけれど,たとえば従姉妹の結婚のように,思い出すだけでこちらも幸せになるような記憶というのも,すごくチカラがあるのも事実だ。
 そう考えていたら,やっぱり押しなべて平坦な日常もありだが,喜怒哀楽の明確な日々というのも回帰点が明らかでいいなと思った。
 あるとき友人と話をしていて「何もない人生を長く薄く過ごすよりも,密度の濃い人生を短く過ごす方を望む」と言ったら驚かれた。私の100%は喜怒哀楽で出来ている!とか思ったけど,これは別にあたしに限ったことじゃないね(笑)

May 10, 2007

『TANE たね』について

ミニアルバム『TANE たね』について書こうと思います。

既にお聞きになられた方もいらっしゃるので,感想をおよせいただければと思いますが,4曲入っていて曲は全てスタンダードです。Smile/Girl Talk/Fly Me To The Moon/The Days of Wine and Roses。なんというか,ベリースタンダードな選曲です。
 この曲を選んだ理由はシンプルで歌いなれているということ。いつもライブにいらしてくださっている皆様はイメージしやすいと思いますが,大抵私はピアノやギターのプレイヤーの方と一緒にトリオやデュオでライブをやります。ジャズのスタンダードを比較的クラシカルな形式で,歌っていますが,今回のアルバムは何が肝かというと・・・そのアレンジです。
 アレンジをしてくれたのはGolden Balls Studioの菊田冬彦くん。彼はジャズのジャの字も知らないロックギタリストだと言っていいかも。見た目は愛すべき宇宙人みたいな感じなんですが,好むところはUKサウンド。ここは実は私と同じ。私のルーツの一つはSadeだから。菊田君はオリジナルも作っているのですが,そのオリジナルのサウンドがあまりに面白くて,アレンジをお願いすることにしたわけです。ジャズを知っている人にアレンジをお願いするよりも,もっと新鮮なものが出来上がると直感したから。
 初めて聴く曲,単調なコード選びと構成,どれも同じに聞こえる曲。おそらく彼には「どう料理したらいいのかわからない素材」だったと思います。刷り込みをしたくなかったので,こんな曲だよ,というのも1回しか聞かせず,後は譜面を渡しただけ。それが去年の夏のこと。
 秋口になって,そろそろ稼動しないとなぁと思っていたところに菊田君から連絡が。何曲かアレンジしてみたので聴いて欲しいという。高級住宅街にあるトイレ共同,風呂なしの4畳半に訪ねて行きました。今時いないよね。なおかつ,大家さんは留守にしていて,いくつかある他の部屋は誰も住んでない・・・廊下の一番奥にあるトイレに行く時,他の部屋のドアが実はとても怖かったのだけれど・・・まぁそれは別問題なのでいいとして。
 出来上がったサウンドは,期待通りというよりも,期待以上。まず最初に感じたのがものすごいスペース感。基本的には彼の打ち込みによるアレンジで,ギターやところどころのタンバリンは菊田君自身が弾いて録音されていました。目を瞑ると音があちこちに廻って,聴いている私を包み込むよう。粒だった感じ,すごくナチュラルな感じ,そして近未来的な予感,ひずんだギターの音色,「すごい」の一言でした。「菊ちゃん(と菊田君のことを呼んでいるのだけれど)はやっぱり天才なんだね」と思わず言ってしまった。
 そこから歌入れ。Girl Talkを録音して,Smileを録音。その後Fly Meと行くのだけれど,生半可な集中力ではないので,あまり長く続けられず,また録音した声が気に入らなくてしばしばいらいらしたり。歌を入れることで菊ちゃんサウンドとどう融合するのかが非常に気になるところでしたが,歌入れをしてからバックのオケを若干いじったりして曲を作りあげていきました。
 さて,時は師走,最後のThe Days of Wine and Rosesの段になって,菊ちゃんからぱったり連絡が来なくなりました。どうしたのかなぁと思っていたら,4曲が4曲とも同じような曲で,どうアレンジしたらいいものかわからなくなって,こり始めたらどつぼに・・・とのこと。とりあえずそのどつぼサウンドを聞かせてもらうことにしました。
 ラフなどつぼサウンドを聞いただけで,また私は「菊ちゃんはやっぱり天才なんだね,頭おかしいよ君は」と言い,そのころにはソロを吹いてくれることが決まっていたサックスの後藤輝夫さんも,聞きながらげらげらわらって「こいつはすごい」と一言。
 まぁ,そのどつぼサウンドに,改良を何度か重ねて歌入れをして仕上げていくわけなのだけれど,このころにはもう先に入れた歌が気に入らなくなっていて,再度取り直し。だんだんと菊ちゃんもアレンジでどういうイメージにしたいという要望も沢山出てきて,結果,時にはアバンギャルドに,時にはナチュラル癒しに満ちて,時には崇高ささえ漂わせる音が出来上がっていくわけです。
 でもね,後ろのオケがどうなろうと,私の声は変わらないから,そのギャップが面白かったりします。変わらないものは,コアなんだな,と改めて思います。反発しない,でも迎合もしない。媚びない,尊重しあう。そんなことの繰り返し。
 このアルバムは,いろんな評価があるだろうけれど,私の中ではジャズ,なんです。今ライブで演奏されるジャズと呼ばれているものは,ジャズという名称のクラシックだと思います。私もそういうスタイルで歌ったりするし,そのスタイルのよさだってあるけれど,クラシックのよさはクラシックのよさとしてあるのは知っているけれど,ジャズってもっと「クールで,かっこよくって,挑戦的で,トライアンドエラーで,先取りチックで,近未来的」なはず。いけいれる人も受け入れない人もいたけれど,マイルスが常に先取りを続けてきたように,ジャズという概念の意味するところは,そのスピリットだと思っています。
 だから,ジャズ。あたしがあの朝出遭って衝撃を受けたのはジャズのサウンド性だけじゃなくて,その魂のところ。そこに拘りたいと思って作りました。アレンジをしている間にわかったのは,先にも書いたけれど,菊ちゃんがUKサウンドが好きだということ。しかもレディオヘッドとかビョークとかが好きなのね。私も好き。UKのサウンドはクールでおしゃれ。「お,これいいな」と思うと大抵UKサウンドだったりするのだけれど,そんなエッセンスも感じられます。
また,サックスやフルートを吹いてくれた後藤輝夫さんは,Go-men.net「ごめんね」という,えらくいかしたハモンドオルガンバンドのバンマスなんだけれど,幼い頃聞いていたのがコルトレーンだそうで。ふーん,と思っていたら,菊ちゃんサウンドに触発されて,衝撃的なソロを吹いてくれました。
この衝撃的なソロに至るまで,押しなべて普通なオブリガードをちょろちょろと吹いてくださっていたのですが,「なんか,こうもっとぐっと来るものが欲しいなぁ」と一声かけたら,「じゃぁこんなのは?」と1回目。うわーすげーなーと菊ちゃんと二人であんぐりと口を開けたまま。「いや,今の駄目もう一回」と本人が言うので吹き直し。そこまで拘っていただけるのであればと,今度は私が2度ほど駄目出し(笑)をして,CDに入っているものになりました。高級住宅街にあるトイレ共同,風呂なしの4畳半での宅録なのでサックスの音は苦情が来そうで,菊ちゃんは青くなっていました。そんな笑える思い出もミックスして出来上がったサウンドです。
 さて,アルバムタイトルを『TANE たね』にした意味。そこから何かが始まる,という意味でもあるし,私の始めての形になった作品,という意味もあるし。何かがそこから成長していけばいいなと,そんな願いを込めています。はじめは『たね』だったのだけれど,マスタリングをしてトラックダウンをした後に菊ちゃんがロンドンに行っていて,出来上がったらロンドンに送りたいらしい。あれー,じゃぁ日本語表記だけだと辛いかなぁと。それで『TANE たね』。名前も同じ理由。私は以前megという名前で歌っていたのだけれど,そのmegっていうのが,ある時どうも「ぽち」とか「たま」みたいな風に聞こえてきて,フルネームで歌おうと思い立ちました。だから最近使っている,藤野めぐみを記載して,ついでに英語表記も載せました。
 ジャケットのデザインやフォントについてアイディアを下さったのはデザイナーで今はx-style.incという会社の代表でもある安藤俊也さん。彼はデザインの審査などがあると世界中から審査員としてご招待が来ちゃうような,世界的なデザイナーです。
 私がミニアルバム作っていると聞きつけて,「デザインやってあげるから任せなさい」と!ええええ!!!世界の安藤俊也にデザインしてもらえるの???と感激に打ち震えておりました。が,発売予定が4月20日だというと,彼は「4月10日までデザインの審査でロンドンにいるので,帰ってから」という。CD制作会社からは4月の頭にはデータを揃えてもらわないと間に合いませんといわれていたので,「それじゃ無理」ということで,安藤さんのデザインを待って発売を先延ばしにすることにしました。
 そしたら・・・4月10日になっても安藤さんは帰ってこなかったわけです。焦ったなぁ・・・。そもそも,菊ちゃんからは,表に私の写真を使うと「アイドルみたいだからいやだ」と注文がきていたので,自分の写真じゃないものを・・・と考えていました。写真を撮る才能のない私は,ならば自分で絵ぐらい描こうと思って,『たね』だからとひまわりの種の絵を描いていました。日本に帰ってこない安藤さんに,あれこれ「こういうふうにしたい,ああいうふうにしたい」とメールで説明することにしました。「わかり難い。パワーポイントかなんかで,きれいじゃなくていいからなんとなく作れないの?」と言われ,「あ,そうか,そんな説明方法があるんだ」と作成し直して,ついでに種の絵もスキャニングして送りつけると・・・それを見た安藤さんから「なんか暗くない?」との一言。「えええええ・・・・」この時点でジャケットに相応しい写真も絵もイメージもなにも沸きません。
あわあわしてたら,「音を聴いたら,ナチュラルな広がりと,癒しを感じた。こんなのはどう?」と,なんとそのとき安藤さんがいた死海の写真を何枚か見せてくれました。あれ,ロンドンなんじゃ・・・という疑問がよぎりましたが,なにやら本業のインダストリアルデザインにかかわる何かを作りにイスラエルに行っていたそうで・・・。
 その中に表紙の写真に使っているDATEの木と死海の写真がありました。DATEは死海の緑地化のためにはじめに植えるという植物で,その果実は甘くて,過酷な状況下でも緑を砂漠にもたらす第一歩になる木なんだそうです。『たね』にしようと思った私のコンセプトにぴったりだ!と感激して使わせてもらうことに。
 そしてブックレットの中には写真家の山田素子さんが撮ってくれた私の写真を使いました。彼女は人を優しくする写真を撮る人です。写真を撮られる才能もない私を,よくここまで撮ってくれたなぁと感激しています。また,あわせて20年以上前から書き溜めている詩の中から,私とジャズとの出遭いを書いた『蒼い空気』という詩を中に載せました。私の描いたひまわりの種たちも,どこかにいます。
このアルバムを作るに当って,協力してくださった全ての人に,表し尽くせないくらい,とても感謝しています。一瞬間を切り取って小さな板に閉じ込めたけれど,その閉じ込めたものは,次につながる何かです。ぜひ聴いた感想を聞かせてください。
お手にとって下さる方,聴いてくださる全ての方に,愛と感謝をこめて。

 

May 20, 2007

ADSL⇒Bフレッツ

 某N社をプロバイダーとして選択して,パソコン通信時代から換算するともう10年以上使っている。実家のネットワークも自分で引いて,ダイアルアップ,ADSL,光とあれこれ対応して使ってきたのだけれど,今回のトラブルについてはほとほと,参りました。
 パソコン通信時代はユーザーによるフォーラムとかで訊いたりしてね,案外不器用だけど心の行き届いた感じがして好きだったんだけど。さて,いわゆる大手プロバイダーになってから,あまりN社とやり取りすることがなかったから,どんな状態になっているのかあまり気がつかなかった。
 この家に引越しするときに,どうせなら光にするかと思い立ったのだけれど,当時はこの建物が光に対応してなかったからADSLを選んだ。速い!とは思わなかったけれど,家で仕事をすることも多いのでまぁ不便は無かった。ただ,もう少し速さがあればいいなと感じていた。そこに,光がやってきたわけ。連日連夜(実際9時過ぎて夜中にまで営業に来て,すごいなぁと思っていたのだけれど)NTTや仲介業者がやってきて「光光」という。
 仲介会社に,じゃぁお願いするか,と一度お願いしたら,NTTの工事料がかかるという。あれ?確かプロバイダ経由で申し込むとこの工事料が無料だったはず・・・と対応の遅い仲介会社をさっさと断り,N社に連絡。「無料ですよーサポートもちゃんとします。」というので,長年の付き合いでもあるし,そっからのが便利でスムースだろう。と。そこから『ただより高いものは無い』状態に突入していくわけです。
 5月7日のこと。申し込んでから比較的早く切り替わることになった。嬉しいなぁー。その前にNTTからルーターが届く。箱も空けずにNTTの屋内工事の人を待つ。現れたおじさん作業をこなす。終了間際に「あれ,おかしいな」とつぶやく。「ん?」と思ったが「はい,つながりました,問題ないです」とさっさと帰る。
 家電はほとんど使わないので光電話だけにした。ぷちぷち途切れるがそんなに不便は無い。Webサイトの表示はそんなに体感速度に変化なし。む?と思って速度を調べるとあまりADSLとは変わらない数値。おかしいなぁとおもってあれこれ調べてみる。でも,素人でいじるわけにいかないようなので手をつけず。さて,つれづれと日記でも書くか・・・。だらだらと日々思うことを書く。

ぽちっとな。
投稿・・・


しーーーーん。

なんじゃそりゃ。サーバーが見つかりませんだと。ネットワークの調子でも悪いかサーバーが調子悪いのかな?まぁ仕事をしよう仕事を。あー今日も山のように打ち合わせのメールが届いておる。9割がたは返答要。へいへい,わかりましたよ。「クロヤギさんからお手紙書いたぁシロヤギさんたら読まずにたべたぁ」などと歌いながら返事を書く。

ぽちっとな。
送信・・・


しーーーーん。

なんじゃそりゃ。メールが送信できませんだと。メーラーの調子が悪いのか?設定がおかしいかな?N社の設定サイトに飛んであれこれ調べる。全部一旦消して設定を試みる。

ぽちっとな。
送信・・・


しーーーーん。

あれ?おかしい・・・。なんだこれは?症状を書き出してNTTとN社に連絡。その後,怒りの2週間の幕開けとなるわけです。

つづく。

怒りの二週間

 N社に連絡する。まず「うちのせいではない」といわれる。
1)設定がおかしいんじゃないですか?
⇒おいおい,設定教えてもらいながら作り直したりしてるだろうが?

2)メーラーがおかしいんじゃないですか?
⇒他のメーラーでも試したけど?

3)セキュリティーソフトの問題でしょう
⇒アンインストールまでして試したけど?

4)ルーターがおかしいんじゃないですか?
⇒ということでNTTに連絡をする。

5)NTTにN社からの対応を伝える
 まずはじめは電話の窓口でルーターの初期化のやり方を教えてもらった。ルーターの設定でフィルタリングをどこでかけているかもわかった。でも今回はいじっても変化が無いので関係ないようだ。そしたら窓口の女性が調べて連絡をします。といったけれど,再度かかってきた電話では「こちらではわかりかねる」そうで。故障窓口に連絡をして欲しいという。

6)NTTの故障窓口に連絡をする
 留守電になっていたけれど,すぐ折り返し連絡が来る。この対応をしてくださった方は,今回のトラブルの中で一番丁寧で親切で,何とかしてくれようとした。名前を書くと問題があるかもしれないけれど,何か会ったらこの人にみんな連絡すればいいと思うぐらい,本当に真摯に対応してくれた。
 この中でわかったことは,速度が出ていないのがおかしいな,ということ。ルーターの初期化や再起動などを試みるうち,まぁ真真普通の速度が出る。がしかし,問題のメールの送信が出来ないことブログなどの書き込みが出来ないことについての問題解決はみられなかった。なので,ルーターの問題じゃないかもしれないということになり,広帯域でつなぐ。広帯域でつなぐとルーターを介さないでN社の接続にそのままつながるわけです。それでも問題は解決されなかった。
 この時点で,あれ,ということはN社の接続自体が問題なのでは??ということでN社に再度連絡をとることにした。
7)再度N社に連絡したら,また要約すると「うちのせいではない」といわれる。
1)から6)までの繰り返し。今回はここに,
8)お宅のPCがおかしいんじゃないですか?が付け加えられる。
⇒ほかのPCを持ち込んで試しましたが同じ状態ですが・・・
 ちなみに,このやり取りは1度だけじゃないんだよね。電話でもメール問い合わせでも何度も1)⇒8)の同じ対応をされて,かなり怒り心頭。この時点で既に1週間経過。のらりくらりと自社のせいではないといい続けるN社にほんとがっかりした。大手プロバイダーになるとこんなもんなのね。少しでも「何とか解決しましょう!」という姿勢が見られたら,結果問題が解決しなくたって「うまくいかなかったけど頑張ってくれたんだからいいよ」と言えたのに。逃げ腰の姿勢に非常に不信感を覚える。結局何かがあったときにどんな取り組み方をするか,で人の印象は変わるのだなと思った。
 さて,この1)⇒8)までの繰り返しの中で,NTTは2度人を派遣してくれて,集合装置の点検もしてくれて,その度に接続速度はどんどん速くなったのを体感した。素晴らしい。光って使いこなせれば便利なのね。。。まぁ光にしようって何度も営業に来てたし,NTTも責任を感じていたのかもしれないけれど,N社よりは遥かに良い対応。NTTは問題の切り分けに協力してくれてPCも持ち込んで頑張ってくれた。仕事が出来なくて,外側からもつつかれ始め,そろそろもう限界だ,と思っていたところだったので,困りました,とNTTに言うと,んーーーーー最終手段としてIEの再インストールを試みてくださいという。そうでなければバックアップをとってOSの再インストールを,とのこと。
 先日から探しているOSの板がちっとも見当たらないので,IEの再インストールで試してみることにした。ついでに,nortonに連絡をしてこのような事例が無いかあれこれ訊いてみた。nortonのサイトは便利だね。チャットで相談が出来る。それでもって,nortonもすごい親切だった。
 IEの削除というのが出来ないので,SP2を削除,再インストールすることにしたんだけど,そしたら1次的に半日近くPCがおかしくなった。げげげ・・・どうしよう・・・と思っているとwindows updateが何度か起動して解決。ものすごいほっとした。実はバックアップ取れてないデータがいくつかあったので・・・。うーん。nortonの変なエラーも出なくなったし,後はメールの送信と書き込みの問題が解決されればOKなんだが・・・。  
 となるとさ,末端のユーザーとしては,逃げ腰の箇所に一番何か問題があって,隠してるんじゃないの??みたいな疑いを抱くわけです。しかもADSLから光にしてから私のようなトラブルは一度も報告されていない,とくるわけです。一度も,なんてありえない。絶対も,完璧もこの世に存在しない。
 N社に連絡を取る。また1)からの繰り返しの対応。「10年以上使っていて,これほどひどい対応をされたのは初めてです。快適に使っていたのに,ユーザーのことを大切に出来ないプロバイダーを信頼できなくなりました。問題の切り分けをするために人を派遣してください。」というと「アウトソーシング会社から連絡が明日の1030に行きます」という。
 次の日連絡を待っても12時を過ぎても連絡が来ない。N社に連絡をすると「1030から1230の間に連絡を入れるのが第一希望で,第2希望第3希望とお伺いしてありますから・・・」という「あの,第2も第3も訊かれてないし答えてもいません。」というとまたうみゃうみゃとごねる。これでもう私の中では,今回のトラブルはN社が原因だと決定しました。
 すぐ電話させますというので,あーぁ,と思って電話を切ると,すぐ電話があった。なにこれ。迅速に対応できるはずのところを後回しにするから問題が起こるんじゃん。がっかり。と思っているとN社のメールがしばらく使えなくなった。もーいーや。と思って外でしばらく仕事をしていた。

 今朝になってPCを開いてみると,2週間のやり取りが嘘のように,問題が全部解決されている。どこが原因だったかわからないまま。今からN社の人が来るのだが,問題は何一つ見てもらえないだろうな・・・。なんか,なんだったのあたしの2週間・・・。
 と,考えていたら,ふと,昨日聴いたライブのことを思い出した。しばらく4beatが好きじゃないんじゃないかとか,なんかあれこれ悩んでいたのだけれど,昨日の神村英男さん,杉山茂生さん,太田寛二さんのライブを聴いていて,ものすごく救われちゃったのね。太田寛二さんのthis is bebop的ピアノとか,神村さんのゆるい歌声とかフリューゲルとかミュートラッパとか,杉山さんのすごい歌心溢れるベースとか。聴いていてわくわくする。あー,あたしやっぱりジャズが好きなんだなって思えた夜だった。そう思っていたら,そうか,ネットがつながらないのは,救われない私の心の中に原因があったのかな。音楽に感謝。がんばろう。 

May 21, 2007

Beat from the Earth

 新宿ピットインに久しぶりにライブを聴きに行きました。コンガ今村祐司さんとサックス後藤輝夫さんの『Beat from the Earth』発売記念ライブ。

BEAT FROM THE EARTH
BEAT FROM THE EARTH

 今村さんは人柄も柔和でこういっては失礼だけれど,とても可愛らしい方です。そんな見かけとは裏腹に,叩き出されるリズムの巧みなことと言ったらない。合間合間の寒いギャグも,今村さんならでは。かなり沢山のお客様がいらしていて,さすがだなぁという感じ。ピットインの音響もなかなかいい感じで,聞いているこちら側にも不安感が無いし,臨場感溢れるステージでした。
 サックスの後藤さんはといえば,大先輩の胸を借りてといった雰囲気でしたがなんのなんの。今村さんを駆り立てもし,テナー,ソプラノ,中国の笛,さらにパーカッションも演奏するなど,一人何役?という感じでした。
 この二人の紡ぎ出すサウンドは,世の中一般的には耳慣れたサウンドではないかもしれないけれど,聴くたびに胸が熱くなるフレーズが飛び出して,我々はしっかりと大地に根付いているのだと認識させられる。今はいろんな音が世の中に溢れているけれど,この二人のサウンドを聞けば,たとえば母の背中で鼓動を聞いて安心する赤子のような,着実に記憶にあるはずのビートに気がつく。それはジャズだ,ポップだ,ラテンだ,演歌だとかそういう細かいことではなくて,もっと根源的でシンプルな部分に存在するビートである。
 パーカッションにもいろんな楽器があって,今日登場したコンガやジャンベに限らず大小さまざまである。パーカッションはそもそもアフリカなどでは通信手段の一つであるから,近くや遠くに伝達するという目的があるものだそうだけれど,あるジャズピアニストは,コンガは一番遠くまで音が響く楽器だと教えてくれた。確かに叩いてみれば低く,高く,浅く,深くと様々な音色を持つ楽器であることを知る。
 その楽器を駆使して今村さんは,時に語るように,時に朗々とリズムを刻む。聴いているうちにコンガの音色が視覚できるような気になってくる。それはコンガの表面から離れると,まるで光に反射して様々な色合いを見せるシャボン玉のように,丸みを帯びてぽわんぽわんと飛び出してくる。
 軽やかで,かつ深い。その粒立つリズムに乗って,時にアグレッシブで時に泣けるほどの美しい色彩を放つサックスの音色。ふと思う。人はもっとシンプルで,もっと根源的な部分に回帰すべきではないだろうか?大量生産されるどれを聞いても同じようなサウンドにまみれて,何が売れる基準なんだかよくわからない時代だから,よさの尺度というのは様々だろうけれど,これほど真摯でこれほどシンプルで,これほど懐かしくて,これほど新しいサウンドを最近耳にしていない。
 それは今村さんと後藤さんの,何十年もかけて培ってきた音楽への情熱や,人類や地球への愛情のなせる業だ。ヒトは存在する限り何かしらを損なう生き物である。それは自分自身に対してだけでなく,外側の世界に対してでもそうである。聴き方によってはいろんな響きをする二人のサウンドは,そんな人類の存在に対する警鐘でもあり,許しでもある。ぜひ一度聴いてみて欲しい。そこから何かしら感じるメッセージがある。

May 27, 2007

音楽

 今週はじめから徐々に酷くなっていく頭痛。光を見ても頭痛がひどくなる。音を聞いても頭痛がどんどんひどくなる。練習が出来ないことをこれほど苦痛に思ったのは初めてかもしれない。そもそも,練習好きじゃないんですが。一攫千金,濡れ手に粟タイプなので,目が覚めたらすごいアーティストになっていたいわけね。まぁでもそれはありえない。
 片頭痛がひどくて死んじゃうことはまずないんだけれど,一説では「陣痛よりも痛い」といわれるほどの痛みらしい。あたしは陣痛も知らないので,まぁなんともいえないけれど,とにかくひどい痛みである。転げまわるほどと記載したいが,転げまわると余計痛くなるのでまず無理。
 片頭痛には何種類かパターンがあって,血管が縮小するので痛くなるパターンと,血管が拡張して痛くなるパターン。今回は後者。いつも同じパターンかというと,そうでもない。前回は前者だった。血管が拡張して起こる痛みというのは圧力が上がることによって引き起こされる痛みらしい。片頭痛にありがちな感じで痛みに波がある。
 がしかし,今回救急で病院に行くことにしたのは,その緩急の波の緩のところがほとんど無かったから。家にある常備の頭痛薬を飲んでみてもまるで効かず,痛みは増すばかり。尋常な痛みだとはどうも思えなくなった頃にタクシーを見つけて病院にふらふらとたどり着く。手際の悪い病院の受付とは裏腹に,時間外で診てくれたお医者さんの診察は実に手際よく,感激して思わず我慢していた涙がぽろり。「涙が出るほど痛いんだね」と頭痛で言語障害まで出ている私の言葉をティッシュを差し出しながら解読してくれた。たかが頭痛にこんな優しい言葉をかけてくれるってことが嬉しかった。
 それからCTを撮って,頭の中に構造上の問題は無いということがわかると,腕に注射を打たれた。その注射も痛いの何のって。その痛みで一瞬頭痛忘れたもんね。というか,一瞬頭痛を忘れたと思えたことが救いだったなぁ。ああ,この頭痛よりも痛い痛みがこの世に存在するんだって。 
 ところが。その注射は圧力を下げるために血管を収縮するクスリなわけです。急速に血管が縮小するのに対応できない血流のせいで,今度は体中がちりちりとし始めて,鼓動と一緒にズキリズキリと始まる。うーん,それはそれで痛い。しかも吐き気は治まらない。近くで看護婦さんたちがおしゃべりをしている。あんまり聞きたくない内容だなぁ,しかも電気が眩しくて頭痛がひどくなる気がする。近くでは喘息気味のおばさんの苦しそうな呼吸が聞こえる。あまりに痛いので歯を食いしばっていたらあごも痛くなってきた。
 堪えていると,可愛い看護婦さんが見に来てくれた。でも可愛くても頭痛が治るわけではない。愛想笑いも出来ぬ。色っぽい看護婦さんが見に来てくれた。でも色っぽくても頭痛が治るわけではない。先生が見に来てくれた。「後30分ぐらい横になってクスリが効かなかったら入院ね」うーん,有難いお言葉。でも入院はいやだ。痛みの種類が変わるのであればなんかの効き目はあったのだろうと信じて,30分も経たないうちに,違う色っぽい看護婦さんが顔を出してくれたので「帰ります」と言った。寝てるだけなら家でも出来る。
 ふらふらとまた家に帰ってきて,ひたすら横になる。高校時代の友人から珍しくメールが入ったりする。ふーん,と思っていると浅く眠る。家から電話が来る。頭が痛いといって電話を切る。仕事のメールをしていないのに気がついて,仕事のメールをする。たぶん支離滅裂なメールが行ったことだろうが,頭が痛いので知ったこっちゃ無い。何度かまた電話がなる。うん,大丈夫大丈夫,とかいって電話を切ったような記憶がある。
 そのまま一晩寝る。早朝に起きたら,少しだけ治まっている。ああ,よかった,とお茶を飲んでもう一眠りする。目覚ましが鳴っている。とりあえず起きた。さっきよりも頭痛がひどくなっている。10時から打ち合わせなので準備をして出かけたら,外が眩しすぎて頭痛のボルテージが一気に!というわけで打ち合わせの場所までタクシーで向かう。
 あーぁ,こうやって頭も痛いのに打ち合わせにこれちゃうなんて,あたしもつくづくタフだよなぁ。と思いながら打ち合わせを始めたが,だんだん意識が朦朧としてきて,言語障害発生注意報!その頃に話が終わったらしく,そのまま病院に直行したいほど痛かったが,あーいかん,私しか出来ない仕事があるのだ今日は,と吐き気のせいで電車を載ったり降りたりを繰り返しながら何とか神楽坂へ到着。
 今日は,なのであまり何をしたかは覚えてない。時々痛くなくなったりしたので,ラッキー♪ぐらいにしか思ってない。今日お目にかかった皆様,いつもにまして無愛想ですみません。で,一段楽したので家に帰ってきて,一息ついて,そのままキーボードに向かった。歌を歌った。そしたら,音を聞いても頭痛が増幅されないことがすごく嬉しくて,夢中になっていたら,頭痛がものすごく軽減されていることに気がついた。
 あー,やっぱり音楽って愛したら愛しただけ,確実に何かを私に示してくれるなぁと深く感謝した。そこで考え始めた。両親は私の中ではぴか一信頼して愛している対象だけれど,ナマモノなのでいつかは死んでしまう。恋人は裏切ったり傷つけたりするから未来永劫なんてことはまずめったありえない。明日のことすらままならぬ。そう考えると,唯一無二だなぁ。無条件に受け入れて愛し続けてくれるのは,音楽しかありえない。有難い。というか,愛してるよーーーー!!!!って感じ。アホですね。はい,わっかの取れた孫悟空のようです。感性が解放されています(笑
 明日も無事,頭痛の無いまま起きられますように。

お日様と頭痛

 願い空しく頭痛で一日が始まる。でもねー,いつまでも寝てるわけに行かんので,早起きをして掃除洗濯。頭の右半分が死んでいても動けるもんです。ええ,何せタフですから。鉢植えたちに水をやって,見ていたらナスとトマトに花が咲いていた。きれーだなぁ。オクラもだんだん大きくなってきた。ゴーヤちゃん。ネットはってあげなきゃ。
 まだ実をつけ続けているイチゴちゃんを5粒ほど収穫して食べながらハーブのプランターの寄せ植えのデザインを考える。イタリアンパセリも一緒に入れちゃおうかと思ったがあまりに根が強いのでやめた。一鉢一鉢に水をやりながら声をかけているのが楽しい。これが出来たらお掃除のおじさんに分けてあげようとか・・・。
 だんだん頭痛がひどくなってきたのでコーヒーでも飲んでみることにする。今日の豆はチモール。チモールというとどうもタカシとお父さんというラーメンズのネタを思い出してしまうのだが・・・それは置いといて,チモールの豆は基本的にインドネシアの土壌になるのかな,かなり美味しいです。酸味と苦味のバランスが取れていてのみ易いんじゃないかな。
 ふと思った。大抵ぐうたらでサボり魔なんだけれど,頭痛なのにこうやって動いてやろうとか思う気力を持ってるってことは,実は案外根本ではぐうたらでもサボり魔でも無いんじゃないの??でもねー,そこのまじめで頑張りやの部分があるとして,その部分が顔を出すのはほんの数%だね。ちょっと自分の生き方を変えよう。とか,生意気に思ってみる日曜の昼。

May 29, 2007

 珍しく朝一番から打ち合わせ。1本目は大好きなコーヒーに関すること。本当はバリスタをとりたいところだけれど,あれこれ手を広げると破綻するので今は我慢する。
 私は,コーヒーの啓蒙家になりたいわけです(笑)世界中の人に(ああ,また大げさな)コーヒーのことを知って欲しいわけです。そんな願いをこめて,1年前に思いついていたことがついに形になりそうなので,めちゃくちゃ嬉しいです。
 二本目の打ち合わせはランチミーティング。表参道にいったらかなりの人出でびっくりした。おしゃれ風味な人たちが沢山。大切な友人にお願い事をしに行ったのだけれど,そのお願い事をイメージしてもらうためにこれから私がやりたいことについて話をした。
 話をしていてお互いが,から回りをしていない,お世辞や表面的でない,相手の顔色を見てもいない,なんというか,自分の言いたいことがきちんと言えている感じがあって,その友人と話しているだけで癒されて整理されて明確になっていく自分の思考があった。すごくありがたかった。
 帰り道で図書館に寄りあれこれと資料を借り漁り,行きつけの花やに寄って大きい植木鉢を買った。家に着くと山のようにやらねばならないことが溜まっていて,齷齪と処理していたらメールが入った。マイルス番組をやっているよとのお知らせだった。
 その番組をぼーっと見ていて,ふと,ある道のような確信のようなものが見えた。日々起こることは全て必然で,それをあるべき姿に形作るのは,自分なんだと。私が今こうしてマイルスのテレビを見ていることも,山のような仕事が溜まっていてそれをモクモクとこなすことも,植木鉢を買ったことも,図書館に行って資料を探したことも,友人と打ち合わせたことも,コーヒーの打ち合わせをしたことも,必然で,それをちゃんと形作れるか否かは私自身に依存するわけ。
 つまり,なんというか,全て示唆に満ちていて,精神的に背筋が伸びていたらちゃんと前に進むということだ。

May 31, 2007

それぞれの美徳

 人は気がついたら,なんだかこの世に存在する生き物になっているわけなのだけれど,こんなでかい図体をして言うことじゃないが,人という生き物は実に危うい生き物である。様々なバランスをまるで綱渡りのようによろよろととりながら,何とか一瞬一瞬をつないでいく。夜寝て朝起きて,生が継続することを案外当たり前のように捉えていて,それが脅かされる事柄があると,普通に生きているということ自体いかに大変なことなのかを思い知る。
 小学校のとき,朝起きたら血尿が出た。黄色いはずのおしっこが,還元濃縮ぶどうジュースみたいな色になって出てきたら,やっぱりびびる。痛みはなかった。びっくりして飛んでいって母に告げた。なんだかおしっこをするのが怖くなった。医者が飛んできて,検査をしてくれた。何も出なかった。そんな血尿がしばらくで続けたので,腎臓の写真を撮ってみることになった。腎臓というのは背中側にあるソラマメのでかいような形状をした二個の臓器であるが,ちゃんと写すには造影剤をからだに入れる必要があるそうな。
 両親はしばらく迷っていたが結局造影剤を入れて写真をとることにした。造影剤を入れることはかなりの副作用が当時はあった。何も出なかった。ただ,疲れていたのだろうという結論になった。腎臓に関する疾患ではなかったようだけれど,造影剤を入れたので体質が変わった。何をしていてもいきなり蚊に刺されたような大きな蕁麻疹が出るようになった。動物に触ると覿面だった。大きな蕁麻疹を見るにつけ気持ち悪い思いをした。そのときの運動会は大事をとって休まされた。血尿の原因が定かじゃないので体に負担をかけちゃいけないとか言うのが理由だった。
 今は歌を歌っているけれど,大学に入学するときまでは生物学者になろうと思っていたので,生物学の基礎を勉強しているときに,その小学校のときの体験が元になって腎臓という臓器についてあれこれ調べたりした。すると,腎臓のみならず,人のからだの中の臓器というのはすごく絶妙なバランスでコントロールされているのだということがわかって,生きて普通に機能することが当たり前だとは思えなくなった。それだけじゃなく,今まであっけらかんと生活してきたけれど,そして子供のころ,思春期,また働く前まではアンバランスでも許されるみたいな社会だったけれど,いざ働き始めると,人間の心のバランスというのも,また微妙なものだということを,肌で感じるようになった。
 バランスをとるのは,とても難しい。かつて急激なダイエットでからだを壊した知人に,腎臓が壊れる怖さを1時間ぐらい話したことがあるけれど,「ふぅ~ん」って感じだった。彼女にとっては健康な体,健康な心が美徳ではないのだなと思ったけれど,健康を損ねてまで得る見目の美しさなど,私には興味が無い。そういうことを基準にする人種にも興味が無い。
 何を美徳とするか,で生き様が変わる。最近まるでブームみたいに自殺するなぁと思う。ものすごく危うい生を継続するのはとても難しい。でも,どうなんだろう。死んでしまえば楽,という考え方は,たぶん短絡的だ。生き物としての生体のシステムを維持することも,心をバランスよく維持することも,ものすごく奇跡的な作業なわけ。そう考えたら,生きているだけで,結構貴重なきがする。沢山周りに人がいるかもしれないけれど,個々を継続するのは,周りではなくてほかならぬ自分なのだから,もう,存続するだけですごい。そのことについて考えたら自分のことを「何とかがんばってるよえらいよ」と思ってしまった。
 

About May 2007

May 2007にブログ「つれづれ」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブはApril 2007です。

次のアーカイブはJune 2007です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。