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それぞれの美徳

 人は気がついたら,なんだかこの世に存在する生き物になっているわけなのだけれど,こんなでかい図体をして言うことじゃないが,人という生き物は実に危うい生き物である。様々なバランスをまるで綱渡りのようによろよろととりながら,何とか一瞬一瞬をつないでいく。夜寝て朝起きて,生が継続することを案外当たり前のように捉えていて,それが脅かされる事柄があると,普通に生きているということ自体いかに大変なことなのかを思い知る。
 小学校のとき,朝起きたら血尿が出た。黄色いはずのおしっこが,還元濃縮ぶどうジュースみたいな色になって出てきたら,やっぱりびびる。痛みはなかった。びっくりして飛んでいって母に告げた。なんだかおしっこをするのが怖くなった。医者が飛んできて,検査をしてくれた。何も出なかった。そんな血尿がしばらくで続けたので,腎臓の写真を撮ってみることになった。腎臓というのは背中側にあるソラマメのでかいような形状をした二個の臓器であるが,ちゃんと写すには造影剤をからだに入れる必要があるそうな。
 両親はしばらく迷っていたが結局造影剤を入れて写真をとることにした。造影剤を入れることはかなりの副作用が当時はあった。何も出なかった。ただ,疲れていたのだろうという結論になった。腎臓に関する疾患ではなかったようだけれど,造影剤を入れたので体質が変わった。何をしていてもいきなり蚊に刺されたような大きな蕁麻疹が出るようになった。動物に触ると覿面だった。大きな蕁麻疹を見るにつけ気持ち悪い思いをした。そのときの運動会は大事をとって休まされた。血尿の原因が定かじゃないので体に負担をかけちゃいけないとか言うのが理由だった。
 今は歌を歌っているけれど,大学に入学するときまでは生物学者になろうと思っていたので,生物学の基礎を勉強しているときに,その小学校のときの体験が元になって腎臓という臓器についてあれこれ調べたりした。すると,腎臓のみならず,人のからだの中の臓器というのはすごく絶妙なバランスでコントロールされているのだということがわかって,生きて普通に機能することが当たり前だとは思えなくなった。それだけじゃなく,今まであっけらかんと生活してきたけれど,そして子供のころ,思春期,また働く前まではアンバランスでも許されるみたいな社会だったけれど,いざ働き始めると,人間の心のバランスというのも,また微妙なものだということを,肌で感じるようになった。
 バランスをとるのは,とても難しい。かつて急激なダイエットでからだを壊した知人に,腎臓が壊れる怖さを1時間ぐらい話したことがあるけれど,「ふぅ~ん」って感じだった。彼女にとっては健康な体,健康な心が美徳ではないのだなと思ったけれど,健康を損ねてまで得る見目の美しさなど,私には興味が無い。そういうことを基準にする人種にも興味が無い。
 何を美徳とするか,で生き様が変わる。最近まるでブームみたいに自殺するなぁと思う。ものすごく危うい生を継続するのはとても難しい。でも,どうなんだろう。死んでしまえば楽,という考え方は,たぶん短絡的だ。生き物としての生体のシステムを維持することも,心をバランスよく維持することも,ものすごく奇跡的な作業なわけ。そう考えたら,生きているだけで,結構貴重なきがする。沢山周りに人がいるかもしれないけれど,個々を継続するのは,周りではなくてほかならぬ自分なのだから,もう,存続するだけですごい。そのことについて考えたら自分のことを「何とかがんばってるよえらいよ」と思ってしまった。
 

コメント (2)

はじめまして。
師匠つながりでやってきました。

バランス、そうとっても大事だと思います。

meg:

ふみこさま

はじめまして
そうですね
人はまるでやじろべえかバランスボールの上のように危うい生き物だと思います

上手にバランスが取れていればいいのですが
なかなかむずかしく

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May 31, 2007 1:41 PMに投稿されたエントリーのページです。

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