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June 23, 2007 アーカイブ

June 23, 2007

アイデンティティの確立について

 子供の社会で自殺だのいじめだの深刻になっているけれど,いまだ大人の社会でもいじめがある。どうして人をけなしたり傷つけたりすることでしかアイデンティティを保てないんだろうか?悪いけど,そんなアイデンティティは大したアイデンティティじゃない。
 子供には子供の社会があって,大人が立ち入ろうとしてもその社会に住んでいる当事者じゃないから,拒絶されたりする。あたしの記憶からすれば,でも本当は何とかして欲しいと思っている。だから,大人は,その子供を守るつもりがあれば徹底的に守らなければいけない。中途半端に手を差し伸べることは,かえってその子供から反感を抱かれることになるし,傷つけることになる。
 ウチの母親と随分大きくなってから話をしたときに,いじめられていたことを気がつかなかった,と言っていた。どうして言ってくれなかったの?と言われたけれど,言ったところで何とかなったの?何もなら無かったよ,と会話はそれで終わり。
大抵わが子がいじめられていることなど気付かんのだろう。
 いじめられているのだったら,学校になんて行かなくていいと思う。生徒の管理も出来ないような学校にどんな教育があると言うのだ。私も,学校に行かないという選択肢を早く思いつけばよかったなと今は思う。意固地になって学校に通い,ひたすら「強くなりたい」と思っていた。
 いじめの理由なんて,実にばかばかしいものだ。ばかばかしいことに深刻になっていることすらばかばかしい。そのくだらない悪循環から抜け出すのに必要なのは自分の強さと,学校の誰かの優しい強さ。
 いじめは,本当にくだらない。そんな陰湿なエネルギーを集団になってひとりにぶつけるのなら,いじめをしないという潔さを養うべきだ。そもそも,潔い大人が今の子供の近くにいないんじゃないのかな?何が大切なのか,みんな知ってんのかな?
 誰かから何かを奪うとか,誰かに寄りかかって生きるとか,誰かに何かを求め続けるとか,誰かを傷つけて自分のみを守るとか,生きていくってそんなんじゃない。清く正しく美しく,って言ってるんでもない。あたしが言いたいのは,生きる姿勢がまっすぐかどうかが大切だということ。自分自身に対して恥ないか,ってこと。背筋が伸びてるか,ってこと。
 いじめをする,いじめに加担する,ものすごく汚らしくて恥ずかしいことだ。半年ぐらい前,あたしの元生徒がいじめについて話してくれた。「いじめは嫌い。いじめをする人も嫌い。いじめられる方に原因があるというなら,ちゃんとその原因を本人に話すべき」と言ったのだけれど,みんな心が弱いですね。あたしの心の弱さとは質が違う。
 アイデンティティの確立は外側に求めるものではない。そんなことにも気がつかないひと,子供だけじゃなくて大人にも多いから,そんな大人に育てられた子供はかわいそうだけど外側にアイデンティティの確立を求めたりするのかも。
 ちなみに,あたしはアイデンティティの確立を外側に依存する人が結構嫌いです。もちろん,私だって一人で生きているわけじゃないから,いろんな人に支えられて助けられて生きているわけ。そのことに関しては非常に感謝しているし感謝してもし尽くせないほどだけれど,でも,支えられること,助けられることが目的になっちゃ,だれも支えてくれないし助けてくれない。欲しい欲しい星人にはなりたくない。
 だからさ,あれこれ書いてるけれど,つまるところ,愛なんだけどなぁ,みんなそんな単純なことに気がつかないの?まさかね。
 とかあれこれ書くけど,本当に言いたいことはなかなか表現しにくいね。

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