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June 2007 アーカイブ

June 1, 2007

『TANE たね』より2曲オンエアー

『TANE たね』より2曲オンエアーされます。The Days of Wine and RosesとFly Me To The Moonです。私の家では聞けないのですけれども,お知らせです♪

6/9(土)夜21時~21時55分
「アーバン倶楽部 鈴木リエのLove Train」
FMしゅうなんラジオ(78.4MHz)山口周南地区
再放送時間は毎週日曜日17時~17時55分時

June 4, 2007

それぞれの道,それぞれの生き方

 今日のコーヒーはドミニカ共和国産のパラオナという豆。淹れたてはとにかく,うまい!希望としてはもう少し苦味があればいいと思うが,初めて飲んだが香りが良い。ところが,結構出だしのトップノートはいいんだけど,ミドル,ラストとあまり持続しない気がする。コーヒーは生き物ですな。
 さてさて,先週末中学校からの親友がカフェに顔を出してくれて,うわー何年ぶりなんだろうとひどく感激したのだけれど,元気そうな相変わらず美しい笑顔を見てパワーをもらった。お互い忙しくてばたばたとお茶して終わりだったんだけれど,彼女もいろんな出来事を乗り越えてものすごく頑張っている。お互いのコアを知っている非常にありがたい存在である。彼女の今までを考えると,その頑張りに触れるにつけ,涙が出るほどなんだが,そんなことを微塵も見せずに笑顔で頑張っている姿に心打たれた。
 時を同じくして,やっぱり10年来の友人が結婚をした。飲めばあーだのこーだのお互いのあり方について意見を言い合ってきた仲間なので,嬉しかった。社会的にだんだん成功しつつあるようだが,人並みに結婚とかできるのかなぁ?と老婆心で心配していたので(と,あたしに心配されたくないだろうが)そのニュースには驚きもし,安心もし。
 それぞれの道があって,いろんな生き方をする。おのおのがその時々に懸命に生きている姿は,本当に感激する。歩幅もあろう。歩く速度もあろう。頑張れるときも,疲れて休みたいときもあるだろう。一人ひとりが自分らしく進んでいけばいいのだと,納得する。どれがよいということではない。尺度は,愛でしかない。そう思う。幸せでありますように。愛をこめて。
 

June 9, 2007

橋本信二のギターで癒されたい

 友人がしんちゃんこと橋本信二さんのギターを聞いて「橋本さんはその姿を見るだけで,ありがたい感じだ」と表現したことがある。その通りだと思う。いつ聞いても,いつ見ても,しんちゃんのギターはすごい。
 さて,その橋本さんと今日はライブ。

◆2007年6月9日(Sat.) @Akagi Café 19:30~ MC \ 2,000

「Hot and Cool」

ファンキーなオルガンサウンドとグルーヴ感を前面に押し出したバンド”ごめんね”と
透明感のある歌声のコラボレーション
会場 : Akagi Cafe@神楽坂(03-3266-7707)
http://www.akagijinja.or.jp/shrine/cafe.html
時間 : 19:30~20:30/21:00~22:00
出演 : ごめんね / 藤野めぐみ
※ ミュージックチャージ 2,000円

June 10, 2007

すごい雨

 入梅しましたかね。雨がちです。午前中んー,やばい雨が降りそうだと思いつつ早くから傘を持って近所に出かけていたら,用事が済んで帰ろうと思ったときには驟雨。ピクルス用の酢を買うのを忘れたまま家に帰ってきてしまったので,野菜がへたらないうちに買わねば。。。がしかし雨嫌いの私がこの雨の中でかけるのか・・・?まぁでも昨日,私が雨がいやだいやだといっていたら,橋本さんが「来るべきものだから,来るべきものが来たって感じだよね」と達観した大人の意見を述べていたので,ふむ,そうか。となぜか納得したりして。。。
 が,へたれな私は,雨やまないかなぁと窓を眺めております。
 

目がすっぱい

 ようやく気持ちが料理モードになってきたので昼に残り物の野菜でパスタを作り,「ふふん,エリケ風と呼びたい」などと思いつつ,買出しをしてきた野菜を眺めてピクルスを作ることにした。近所に酢を買いに行ったけれど,ワインビネガーがなかったので米酢で作ることに。保存容器の殺菌をしたり,野菜を塩もみしたり軽くゆがいたり,切ったりして,ピクルス液を作っていたら,目がすっぱい。というかしばしばするね。お酢の力だ。。。なれない作業は結構めんどくさいぞ。もしかして,小さい容器で沢山作った方が楽なのかもしれないと今気がついた。つめるのも雑菌に気を使いながらだと思うように出来ないし。むむ,頑張ってピクルスマスターになるんだい!

June 13, 2007

人の縁

 人の縁とは不思議なものだ。去年ひょんなことから出会った方から声をかけていただいて八月に北海道でライブをやることになった。去年の内にできればライブをと思っていたが、いつもの「思い描いたことが一年後に実現する」マイルール通り、出会ってから一年の時間を経てのライブである。
 よく「一人で生きている」ように見えると言われることがあるが、そんなことは全くなくて、実に様々な人に助けられ支えられてきたし今もそう。自分がどんな人間でありたいか、自分がどんな人間にはなりたくないか、それを取捨選択していくのは私自身だけれど、基本的に賢くないので、的確な選択が出来ている自信はない。そう考えると両親を始め、みんなよく見捨てずにいてくれたなぁと感謝感謝なのである。
 へらへらと生活してきたので、根本的にどうありたいのか、あまり考えずにきたかもしれない。最近それが漠然と見え始めた。そのきっかけになったのは、上記の北海道のライブに声をかけてもらったことだった。見かけや職業としてどうありたいということじゃなくて、もっとコアな部分ね。
 4月の終わりにミニアルバムを出せたことも、中身として賛否両論あるとは思うけれど、ひょんなことからアレンジャーの菊ちゃんと出会ったことが始まりだ。うむ、やっぱり人の縁とは不思議なものだ。
 ひょんなことから出会ったと書いたけれど沢山の道が既に提示されていて、私が「それ」を選んだからなんだけどね。そういう意味では偶然はありえない。みんな出会うべくして出会う人々と,なすべくして形になる音楽。
 そんな人の縁から出来上がったミニアルバムの発売記念ライブを7月13日にやります。赤城カフェで。チャージは1000円。みんな来てね。菊ちゃんはこのライブを最後にしばらく海外とかいううわさがある。ドントミスイットです。

 って、13日の金曜日ぢゃんぁぅ

啓示に満ちた日々

 奇跡的に五体満足で生まれてきたので,いや,五体満足で生まれてくることを奇跡的だと思うようになったというほうが正しいかな,五感を失ったら,と想像するだに怖い。五感が普通に機能しているかどうかという議論はおいといて,発生学的な観点から考えても,五感が少なくとも備わっているということについて,すごく感謝する。
 自分や身近な例で考えると,メニエルになると聴覚に,緑内障だと視覚に,ストレスで無味症になると味覚になんらかの影響が出る。自分が五体満足なので何を言っても偽善っぽいんだけど,わが身に起こりうることとして考えると,障害のあるヒトをどうもほおって置けなくなる。
 立て続けに視覚障害のある方に会った。私はありがたいことに視覚があるので,そのもっている視覚を代わりに役立てることに躊躇は無いが,私がそこまでご一緒します,と言ったことを彼らはどのように感じたのだろうか。中途半端に手を出すなら,初めから手を出さない方がいいのだろうか。
 彼らに会った直後にひどく自己嫌悪になり,自問自答していた。己の行為は,どこから来るものか,と。自己嫌悪の上塗りになるけれど,「自分の身に起こっていることだと想像するとやりきれないので,ほんの少しでも何かをしたかった」わけ。そこに「愛」はあったのかな。
 よくわからないけれど,「ああすればよかった(のにできなかった)」という状態にはなりたくない。たとえば「席を譲ればよかった」「誘導してあげればよかった」「優しくしてあげればよかった」「声をかけてあげたらよかった」あげつらうときりが無い。でも日々はそういうささやかな試しに満ちている。このときお前はどう行動するのか?という課題に満ちている。そう考えると,どこまで自分を投げ出せるのかという問いかけは日々常に身近にある。
 こういう視点で物事を考え始めると,私を含め世の中の大概が「自分本位」であることがわかる。私は自分本位だけれど計算高くない。というか,賢くないから計算高くなれないんだけど。「○○が欲しい」「○○して欲しい」「○○してくれて当然」「ここまでやったんだから○○してもらわないと」そんな計算,私は上手になりたくない。でも案外そういう計算で物事が成り立っていることも事実だ。
 あー。あれこれ考えていたら滅入ってきた。ねぇ,大切なのは愛なんだよ?しかもね,愛されることじゃなくて,愛すること,なんだよ。

June 14, 2007

ピクルスのその後

 結果から言えば,美味しくできた。でも,ちゃんとつかる前にもりもり食べてしまったので,もうほとんど無い。つかり具合がちょうどいいというのはよくわからなかった。
 使ったのは米酢だと思っていたけれど,普通の穀物酢で,でも美味しかったのでこれでいいだろうと。でもすっぱさの好みなどは人それぞれだろうから,万人が好む味というのではないかも知れぬ。
 野菜は,カリフラワー,にんじん,普通のきゅうり,ベビーコーン,赤パプリカ,黄パプリカ,ペコロス,ミニトマト。ペコロスよりもパールオニオンがいいと思うが手に入らなかった。購入した野菜の半量で1.5リットル壜がいっぱいになったので,残りの半分をどうしようかなぁと思っていたが,せっかく1.5リットル壜がもう一つあるので,前回の反省点を踏まえてもう一度作ってみた。
 野菜をパリッと仕上げたいのでピクルス液を熱いまま注ぎ込むことにしているのだけれど,ミニトマトに熱い液がそのままかかると湯剥き状態になってしまうので,壜へのつめ方をあれこれ試行錯誤。また,にんにくをあらみじん切りにしてつかってみた。
 こっちはいかんせんまだ出来てないから味はわかんない。まぁ,そんなにまずくは無いでしょうおそらく。あー,でも次回作るときは,ローズマリーは煮込むのやめよう。せっかくの香りが飛んじゃう。

June 17, 2007

久しぶりに実家へ

 ピアノの練習を終えて、そうであった父の日だ、と思い立って実家へ。ついたら二人で酒盛りしてたので、混ぜてもらいました。母の手作りの夕飯を3人で食べて、気がついたらワインを2本開けてた。
 兄貴たちは父の日のお祝いを2週間繰上げですでにやっていたらしく、上の兄貴からはわれわれが飲んだくれていたら電話がかかってきて、下の兄貴には遊びに来いと電話をかけたら、もう家でまったりしてるからまたね、といわれてしまった。
 父の日のプレゼントを散々考えたんだけどあまり思いつかなかったからチャップリンの映画を二本買って行きました。3人で見てたんだけど、一人減り二人減り(笑
 気がついたら両親は布団にもぐって寝ていました。ちょっとこういうの、幸せな光景。狭い家にあるミニコンポをふと見たら、母の日に私があげた私のミニアルバムがCDプレイヤーに入っていて、思わずうるっときてしまった。二人が聞くような趣味の音楽じゃないんだけどね・・・がんばって聞いてくれたのね。
 二人の寝顔を見ながら、後何回、こんなチャンスがあるのかな、なんて思った夜。

June 20, 2007

夏の朝

 ひょっこり目が覚めた。ああ,随分明るいから昼に近いんだろうか,と思った。そのまま如雨露に水をいれて鉢植えたちに寝ぼけ眼で水をやっていた。昨日はえらく眠くて気がついたら寝ていた。電気もPCも点けっぱなし。いかんなぁ。窓を開けるとすごくさわやかな風が吹き込んでくる。ふむ。今日は静かな昼なんだなぁ?と思いつつ,PCの前に向かって仕事のメールチェック。あれ,今日はちっとも仕事のメールが来ていないぞ。重ね重ね静かな日だ。洗濯でもするか。
 洗濯をしながら鉢植えのチェック。ミニバラはおかしくなっちゃったぐらいに沢山花をつけているが,以前から悩まされている葉ダニの被害がひどくなっている。葉ダニにやられると,葉っぱが駄目になってしまうので光合成バランスがおかしくなっているはず。しかもこんなに花をつけたら株に負担が大きいから,どうするかなぁ・・・。
 すぐ隣にアメリカンブルーとアスパラがあるんだけれど,アメリカンブルーも葉ダニ被害があったのだが,これはどうやら収束しつつある。その横の四葉のクローバーたちも,若干の被害・・・。葉ダニ用の薬をかけてみているのだけれど,あまり効かない。アスパラは・・・なんというか傍若無人に延び放題です。でもアスパラの葉っぱにとても癒されるのでもっと伸びてもいいかななんて思うが,ちょっとでかすぎるかなぁ・・・。
 別の場所に移動して野菜たちをみていると,先日一番茄子をあわててとった茄子が2個目が大きくなってきていた。ほ。よかった。茄子も可愛いなぁ。
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隣のトマトはミニトマトだと思って購入したものなんだけれど,ありえない大きさなのでどうやらミニトマトではないようだ。んー。あの時ミニトマトの隣にフルーツトマトがあったので,それ買って来ちゃったのかな。まぁいい。でも,ミニトマトだと思って育てていたら実がどんどん育つので最初「何が起こったんだ??」と思った。オクラは,美しい花を咲かせています。オクラの花はほんときれいだと思う。形はタチアオイの花に少しにて,薄黄色。ゴーヤちゃんの花もきれー。元気出る。
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 今度は洗濯物を干した後にベランダの鉢植えたちをチェック。ハイビスカスが花芽をつけ始めたのでまた沢山咲くといいなぁ。それにしてもどんどん大きくなる・・・。ローズマリーも椰子も結構調子がよさそうだ。ハーブたちもすくすく。ミントはやっぱりイタリアンパセリとプランターを分けて正解。全然元気なかったのだけれど今ではイタリアンパセリと同じぐらいに茂っていていい感じ。
 しかし,今日は本当に静かだ。昼なのに全く人通りが無い。車も通ってない。なんか変だな,暑いからかな。と思って時計を見ると・・・朝の7時前だった。。。夏になると傾向として早起きになるが,5時ごろおきていたらしい。ははは。ラジオ体操いけるね。

大股開き

 Q:どうして男の人は大股開きで電車のいすに座るんでしょう。

 大抵はA型らしくないが,いくつかA型っぽいところを発揮するときがある。たとえば,電車の隣に座る男性の脚が自分の脚に触れて体温を感じるような状況が非常に気になる,とか。他は駅の階段の手すりなどが汚い気がする,とか。ちなみに潔癖症でも何でもありません。気になり始めると,気になる気になる気になる気になる・・・ぐるぐるぐる,となるわけね。
 まぁ,その太ももの温感の件はこの時期特に気になるので,でかい図体をかなり無理な姿勢にしてよけたりしてみるのだが,こっちのそんな努力は感じてもらえないらしく,9割がたますます大股開きになる。時々嫌がらせ?とか思うときもあるし,だんだんいらいらしてきて「少しは閉じようよ」と言いたくなる時もある。
 女の人は大股開きで座っていたりすると「はしたない」とか言われるじゃないですか。まぁ女の人が大股開きで座ってて,パンツ見えてたりすると,そりゃ確かにあまり心地よくは無いですが,男の人は大股開きで座っていてもはしたなくないの?男の人は膝頭をくっつけろとまでは言いませんが,V字にせんでもパラレルぐらいにはしていただきたい。
 でも全員が全員大股開きというわけじゃないから,個人の特性なんでしょうが・・・。まぁあとは私の太ももがもう少し細ければ,問題ないのかもしれないが・・・これも個人の特性か(笑

June 22, 2007

最近気がついたこと

 歩く速度が人よりゆっくりになりました。昔は結構速かったが。日々,追い越されております。仕事柄今日もPCに向かっていますが,あまたが痛いです。雨が降っているせいかもしれません。肩が痛いです。50肩か?と言われましたが,まだ残念ながらいそじではありません。
 うちのゴーヤは沢山花芽をつけていますが,バルコニーは風が強いのでもしかしたら実が育たないかもしれません。ナスは,1番茄子だけじゃなくて,3番目ぐらいまでさっさととるほうがいいようです。

June 23, 2007

アイデンティティの確立について

 子供の社会で自殺だのいじめだの深刻になっているけれど,いまだ大人の社会でもいじめがある。どうして人をけなしたり傷つけたりすることでしかアイデンティティを保てないんだろうか?悪いけど,そんなアイデンティティは大したアイデンティティじゃない。
 子供には子供の社会があって,大人が立ち入ろうとしてもその社会に住んでいる当事者じゃないから,拒絶されたりする。あたしの記憶からすれば,でも本当は何とかして欲しいと思っている。だから,大人は,その子供を守るつもりがあれば徹底的に守らなければいけない。中途半端に手を差し伸べることは,かえってその子供から反感を抱かれることになるし,傷つけることになる。
 ウチの母親と随分大きくなってから話をしたときに,いじめられていたことを気がつかなかった,と言っていた。どうして言ってくれなかったの?と言われたけれど,言ったところで何とかなったの?何もなら無かったよ,と会話はそれで終わり。
大抵わが子がいじめられていることなど気付かんのだろう。
 いじめられているのだったら,学校になんて行かなくていいと思う。生徒の管理も出来ないような学校にどんな教育があると言うのだ。私も,学校に行かないという選択肢を早く思いつけばよかったなと今は思う。意固地になって学校に通い,ひたすら「強くなりたい」と思っていた。
 いじめの理由なんて,実にばかばかしいものだ。ばかばかしいことに深刻になっていることすらばかばかしい。そのくだらない悪循環から抜け出すのに必要なのは自分の強さと,学校の誰かの優しい強さ。
 いじめは,本当にくだらない。そんな陰湿なエネルギーを集団になってひとりにぶつけるのなら,いじめをしないという潔さを養うべきだ。そもそも,潔い大人が今の子供の近くにいないんじゃないのかな?何が大切なのか,みんな知ってんのかな?
 誰かから何かを奪うとか,誰かに寄りかかって生きるとか,誰かに何かを求め続けるとか,誰かを傷つけて自分のみを守るとか,生きていくってそんなんじゃない。清く正しく美しく,って言ってるんでもない。あたしが言いたいのは,生きる姿勢がまっすぐかどうかが大切だということ。自分自身に対して恥ないか,ってこと。背筋が伸びてるか,ってこと。
 いじめをする,いじめに加担する,ものすごく汚らしくて恥ずかしいことだ。半年ぐらい前,あたしの元生徒がいじめについて話してくれた。「いじめは嫌い。いじめをする人も嫌い。いじめられる方に原因があるというなら,ちゃんとその原因を本人に話すべき」と言ったのだけれど,みんな心が弱いですね。あたしの心の弱さとは質が違う。
 アイデンティティの確立は外側に求めるものではない。そんなことにも気がつかないひと,子供だけじゃなくて大人にも多いから,そんな大人に育てられた子供はかわいそうだけど外側にアイデンティティの確立を求めたりするのかも。
 ちなみに,あたしはアイデンティティの確立を外側に依存する人が結構嫌いです。もちろん,私だって一人で生きているわけじゃないから,いろんな人に支えられて助けられて生きているわけ。そのことに関しては非常に感謝しているし感謝してもし尽くせないほどだけれど,でも,支えられること,助けられることが目的になっちゃ,だれも支えてくれないし助けてくれない。欲しい欲しい星人にはなりたくない。
 だからさ,あれこれ書いてるけれど,つまるところ,愛なんだけどなぁ,みんなそんな単純なことに気がつかないの?まさかね。
 とかあれこれ書くけど,本当に言いたいことはなかなか表現しにくいね。

June 26, 2007

記憶の中の音色

 先日からなんかの曲の1小節目が頭の中でなっている。音の傾向的にコルトレーンじゃないかと思っていたので忘れないようにずっと口ずさんで,何の曲だったか思い出したいと試みていた。アウフタクトで入ってトゥリルが2小節ぐらい続くようなフレーズなんだけど,はて,なんだろう??
 それと同じくして,私のジャズの原体験になっている数曲があるのだけれど,それをもう一度聞きなおそうと思っていた。その数曲はマイルスのCookin'に収録されているエアジンという曲と,キースのCountryと,誰の演奏かわからないけれど,至上の愛。マイルスのエアジンとキースのカウントリィは,題名もなにも全くインフォメーションがなくて,カウントリィは何も書かれていないテープに入っていてそれを聞いていたもの。エアジンにいたってはたった1回10年前にラジオでかかっていたと言うだけ。ひょんなきっかけからここ数年で曲名が判明していた。記憶の曲が耳から入ってくる音と同じだったときの感激はものすごい感動だったのだけれど,いうなれば,たまたま10年以上前に乗った飛行機で斜め前の席に座っていた人を,今朝地元の駅で見かけた!というような衝撃。あとは3万ピースぐらいのジグソーパズルをやっているときにふと手にしたピースが意図せずぱちりとはまるというような事象にも似ている。
 至上の愛はエアジンやカウントリィと違って,テープに題名が書いてあったから,名前だけはわかっているので探すのは容易だと思っていた。至上の愛といえばコルトレーンだろう?そのときにはもう,その先日から頭の中でリフレインしているフレーズがコルトレーンの至上の愛のどこかなんだろうと勝手に決め付けていた。コルトレーンの至上の愛を図書館で借りることにした。
 ところが待てど暮らせどずっと予約中。どうするかなぁと思っているときに中古CDを買うチャンスがあったのでそれで格安でコルトレーンの至上の愛を入手できた。CDが届く。そうかー,これか。これがあの時聞いていた至上の愛か。などと思いつつ聴いて見ると・・・あれ?先日から頭の中で流れているフレーズはどこにも出てこない。しかも私が聞いていた至上の愛とは似ても似つかぬ音色である。そうなるとますます聞きたくなってくる。あれは何の曲のフレーズなんだろう・・・私がかつて聴いていた至上の愛は誰の作品なんだろう??
 落ち着いて思い出してみると,私が聴いていたテープの至上の愛にはサックスの音色は無かった気がする。その時点で気付け,って感じだけれど,コルトレーンの至上の愛じゃないわけだ。何が聞こえてたかなぁ・・・。そうか。たぶんあれはフルートだ・・・。図書館の蔵書ページを検索していると・・・ははぁ,ヒューバートロウズの至上の愛があるではないか。これは予約中になってない。早速借りて聴いてみる。
 あ,私が聞いていたのはこれだ。いとも簡単に至上の愛のなぞは解けた。ちなみにこちらの至上の愛はAmazing Graceだった。コルトレーンのはA Love Supremeね。とほほ。まぁ,とほほ,なんだけれど,10年前に聞いていた曲が今再現されるとなるとやっぱり感慨深いものである。へぇー,とかほぅ,とか思ってしばらく聞いていたけれど,残念ながら,10年前いいと思っていた何かは輝きが失せていた。ものすごく懐かしい思いはあるけれど,それ以上でもそれ以下でもない。10年前の私は音楽的な嗜好が全くもってクラシック寄りだったから,このアルバムが好きだったのはものすごく理解できる。このサウンドは,なんというか,斬新なクラシック(笑)のように響く。
 至上の愛のなぞ?は解けたけれど,さてはて,この頭の中でリフレインしているこのフレーズは何の曲か,という問題が残った。どこかで聞いた記憶なんだろうが,コルトレーンサウンドだろうとあたりをつけてはいるものの,私の持っているコルトレーンのコレクションはあまりに貧弱なので,その中にはないだろう。別に焦っている話でもないので,のんびり探すことにした。図書館で借りてきたり中古を買い漁ったりしてコルトレーンのアルバムをあれこれ聞いてみている。ところが(笑)どのアルバムもいいので,1枚を何日も何日も聞いちゃったりしてね,全然フレーズ探しなんてそっちのけ。そもそもの,コルトレーンのなんかだろうという予測が間違っていたら,また海図なくして大海原へ旅に出るようなもんなんだが。

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