かーさんしんぱい
今日は台風が来るんだ。そう思いながら昨日夜遅くまでDVDを見ていた。
耳にして,なんて素敵な曲なんだろうと思う曲のいくつかが,この映画の曲だと知ったから,いつか見ようと思っていた。見ていて,なんだか苦しくなった。それでも,chan's songはあまりに美しく,ハンコックは天才だと再確認した。
人が好むと好まざるとにかかわらず,人が受け入れてくれるかどうかにもかかわらず,自分はこういうものがすきなのだ,と表現するしかない不器用な私は,そして,かつ表現方法の手管すら,不器用極まりないのだけれど,踏み出した足を引っ込めることは考えたことが無いなと思った。
やめる理由をつけることはいくらでも出来て,逃げる方向へ情熱を注ぐことも簡単なのだけれど,えりすぐりの厄介な道というのを選ぶ本能があるらしい。私のことをあれこれ人は言うだろう。それでも,へこたれつつも牛歩で進む我をよしと出来る気持ちさえあれば,着実に進んでいける。これは,でも,私に限ったことではない。
見ている間に疲れてきて,もう見ているのをやめようかなと思ったら,映画は終わった。建て付けの悪い窓ガラスががたがた鳴っていた。そうだ。嵐が来るんだ。小さいころはこの隙間風の音が狼の声のようで,とりわけ冬は嫌いだった。大人になってしまえば割り切ることがなんとなく出来るようになる。このまま眠りに就いたら,朝はすごい暴風雨なんだろうか。そんなことを考えていたら,メールの着信音がする。朦朧としながら返事を書いたようだ。
目が醒めたら,朝の5時だった。思いのほか外は明るい気配で,でも,まだ布団から出たくなくて2度寝しようとこころみたけれど,ぶつぶつと途切れ途切れに目が醒めたのであきらめて布団から出ることにした。
鳥が啼いている。台風は去ったのかな?それとも目の中なのかな?まさか。そんなに早くは進むまい。ベランダの窓を開けると,細かい,それでいてスピードのある雨がいい角度で降っている。ああ,これから来るのかな。バルコニーへ出て他の植物を見て回る。少し寒かった。トマトの葉が少し調子が悪い。それ以外はまだ何も起こっていない。
今日は台風だけじゃない,エレピが来る日だ。今使っているカシオトーンの脚をはずして分解しながら,ケビンマホガニーを聞いていた。なんだか切なくなってしまった。でも,このカシオトーンも貰い受けてくれる次の使い手が見つかりそうなので,よかった。有難うカシオトーン。君の事は忘れない。ケビンの歌っている曲の譜面をおこしていたら,荷物が届いた。大きな荷物を二つ運び入れた。さくさくと組み立てをしながら,いや,待てよ,今回ばかりは組立図を見たほうがいいんじゃないだろうか?だって,ほら,新しい人生の始まりなんだし。なんて。大げさな(笑
でもね,結果的には「中途半端に見るなら見ないほうがまし」だったわけだ。中途半端に読んだからなんだか設置したらがたがたする。おかしいな。今度は直感で組み立てなおす。いい感じ。微塵もぶれはなし。
少し触って遊んでいたら風の音が強い。植物が心配になってまた見回ってみたり。今日はこんな感じで「かーさんしんぱい」で外に出られません。