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愛を語るものは

 今朝,ふと思った。あたしは愛だとか愛情だとかたやすく口にするけれど,弱者の逃げ口上じゃないかと。沢山の説明できないことがあって一つ一つ考えてみるに,やっぱりつまるところ一番大切なのは愛なんだと思うけれど,愛にはいろんな種類があって,誤解を生じることすらあるんだろう。
 誰か異性のことを恋焦がれる愛もあるだろう。幼いものたちを深く慈しむ愛もあるだろう。偏った愛もあれば我侭な愛もある。私は愛が大切だと思っているけれど,けして柔和な人間じゃないし,むしろその逆だと思われることも多いであろう。いつもニコニコ笑っているわけじゃないし,むしろその逆であることが多いであろう。
 でも,誰かを言いくるめようとか,誰かを利用しようとか,誰かに依存して生きていこうとか,狡猾な人間は沢山いて,それはその場ではうまくやっていくのかもしれないけれど,もっと大きな目で見たら我に囚われるものは,その枠からは出ないことに気がつく。そういう人になりたくないなと思う。非常に不幸だ。
 空につながり,大地につながり,その接点としてある我のなかにエネルギーを溜め込むとそれはよどみとなって我の中で腐る。それは単純な理である。ああ,そうか,私は,腐りたくないのかも。
 今週末から北海道に行くのだけれど,そのやり取りで,すごく愛を感じるわけ。それは個人的な愛ではなくて,このチャリティーをとおして,世界の誰かに愛情を届けることができると言う,その行動に対しての愛。企画に関わっている人たちみんなの信念や仲間に対する信頼とか。やっぱり,愛は弱者の理論ではなくて,愛を持って行動するってのは,とても難しいからこそ,強いことなんだな,と思えた。なんだか,うまく言えないけど。

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August 24, 2007 9:55 AMに投稿されたエントリーのページです。

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