発話行為と文字表記の余韻
火曜日,木曜日と月見のイベントでしたが,その中で映像担当の方が,私の書いている詩の中の一つを映像にしてくださった。
昨日のピアニストの田山勝美氏はポエトリーリーディングの人との即興ライブをやっているので,「音付けてあげるから,読めば?」という。私の中では発話行為と文字を書く行為というのにはぱっきりと区別があって,私は自分の詩を読まない。耳から入る情報と目で見たときの視覚に残る残像との隔たりを感じているから。
詩に関して言えば,余韻を楽しむのは,私の場合はおそらく目からの情報である。あと,読むと書くのでは読んだときの感情の入り方と書いているときの感情の入り方が違うので,そのあたりも「自分の詩は読まない」というのに関係しているのかも。
いずれにしても面白いイベントでした。賛否両論はあるかもしれませんが,何かを「やってみようかな?」という気持ちがあるのであれば,「やらない」ということと「やる」の間にはとても大きな隔たりがあり,出来上がった結果に対しては誰でも何とでも言えるわけです。さらに何かをやったならば,それを継続することにもっと大きな意味があると思います。
今回の月見のイベントはささやかなハンドメイドでのプレゼンでしたが,すごく大きな可能性を秘めていて,ライブを聴きにこられた方を含め,参加した全ての皆さんは,このムーブメントの出発地点を共有したのだと思っています。私は今後もいろんな形でコミットしていけたらいいなと思っています。
参加してくださった全ての方に,アーティストの皆さんに,アカギカフェのスタッフのみんなに,感謝と愛をこめて。今日も良い一日になりますように。