◆長井さん銃撃「背中から貫通」
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/kenji_nagai/
認識するしないにかかわらず,また多かれ少なかれ,日々我々はいろんな局面に立たされるけれど,こういうニュースを聞くと非常に心が痛むし憤りを感じる。私はニュースでしか長井さんのことを知らない。長井さんのことをしらない私ですら,ふつふつと湧き出るものがあるのだから,長井さんのご家族や知人の方であればなおさらであろう。そのことに思いを馳せることすら,心が痛む。
私は社会派の人間ではないし,政治的な思想を持っているわけでもないけれど,何か主義主張,言いたいことがあるときに,その対話が軍事力や暴力というのは,あってはならないことだと思う。
世の中には沢山の人が住んでいて,全ての人が同じ考えを持つことはありえないことだと思う。でも,相手がが同じ考えでないからといって暴力で対話していたら,この世界は実に殺伐としていて愛のない世界になる。
どこからどこまで暴力か。そんな線引きだって難しい。相手の立場を慮ることが出来ない時点で暴力の種はある。実際危機的な状況に立たされていたら,愛だの思いやりだのと言ってはいられないだろう。
個々人の人間関係ですら,些細な思い違いで全く違うことを考えていたりするし,それがマクロなレベルになったときに,思想の相違は調整が困難になる。私は時々自分と考えが違う人や自分が考えていることを誤解している人に対して,「自分が考えているのはこれこれこうだ」とか「私のいっている意味はそうではない」と説明することをあきらめてしまうことがある。説明したところでわかってもらえないだろうと思うからなんだけれど,マクロのレベルではそうはいかんだろう。
時折,「平和的解決を」という文言を見るに,すごくもどかしい気持ちになることがある。非常に理不尽なことを押し付けてきているのに平和的解決も何もあったもんじゃないだろう!と時々鼻息が荒くなることもあるんだけれど,この「平和的解決」という表現は,相手の理不尽さに対して同じレベルに立ってはいけないってことなのかもしれない。
我々人類は進歩してるんだろうか?クーデターを起こされる事態になるミャンマーの政治,民主主義だといいつつ核開発をする国々,国民の生活レベルはちっとも上がらないのに軍事にばかり資金を投入する国々。個人レベルでも国家レベルでも地球レベルでも宇宙レベルでも,愛情のないところに進歩も何もあったもんじゃない。