嫁入り先を探しています。
というわけで,イチゴのランナー切りました。コドモイチゴ苗が沢山ついています。ブリーディングしたい方に差し上げます。我が家のイチゴちゃん(苗)をもらってやってもいい,という方ご連絡を。
というわけで,イチゴのランナー切りました。コドモイチゴ苗が沢山ついています。ブリーディングしたい方に差し上げます。我が家のイチゴちゃん(苗)をもらってやってもいい,という方ご連絡を。
今日は出掛けに寒いなぁと思っていたけれど、夜風に春の気配がした。こういうのは遠いいつかの記憶のようだ。風に香りや湿度や温度や質感を感じると季節が変わったのを知る。
熊やカエルが今年は冬眠しないらしい。冬眠せずにいたらどうなっちやうのかな。ずっと休まることがなくて眠くてしかたがないか、一年中発情期になるか、発情期が全く来なくなるか…いずれにせよ、生体時計狂って大変なことになるんじゃないかな。渡り鳥はちゃんと渡ったんだろうか?テントウムシはちゃんと冬を越えたんだろうか。大陸氷は多分じわじわ溶け出しているんだろう。このまま海面が上がり続けたら確実に世界はほとんど水没する。そしたらウォーターワールドか未来少年コナンばりに、世界中ボートピープルだらけになるんだろうか。
そう考えていたら、暖冬だからといって喜んでもいられない。船酔いのや泳力の心配をしなければならないのかも?海だらけになったら真水はどこからどうやって得るのだろう?きっと人間のことだからなんとか陸を作るんだろう。今の不動産価値なんて通用しない時代が来るのかな。変な利権とか発生しそうだね。
ノアの大洪水って実は容易く起こり得るのかもしれないと思った。そこに神の介在が有ろうと無かろうと。我々の愚かしさが自らの首を絞めるという、言わばシンボルなんだなぁ。
今日は女の子の日じゃないか。あ,もう日付が変わってら。ちぇ。
誕生日にいただいた鉢植えのチューリップが昨日一輪咲きそうだと思っていたら,目が覚めたらみんな緑色のつぼみだったのが赤になっていた。自然てすごいね。しばらく見とれていました。
しばらくコンガをボーっと叩いていたら,昼過ぎになり,ふと見たら朝は開きかけだったハイビスカスが2輪も開ききっていた。うわー,すごい!家のハイビスカスはオレンジ色なので,濃い茶色の床と対照的に非常に華やかである。
すごいな。春が一気に来たみたいだ。ちょっと嬉しくなった。いや,かなり,か。花粉症の薬を飲んでボケたくなかったので,薬を飲まずにマスクをして出かけた。駅のホームでおばあさんが具合が悪くなっていて救急車を呼んでいた。10人ぐらいの人があれこれやっていたので,手伝わずにそのまま職場へ。相変わらず神楽坂は人通りが多い。カフェも・・・お客さんが沢山。スタッフは若干疲れ気味。「大入りだそうか,何がいい?」と働いていたスタッフに聞くと,即答で「愛以外で」だと。だから,「じゃぁ,熱い抱擁で」と言ったら「そっち系ですか・・・いやー賄いでいいです」と遠慮された。ちぇ。
北インド古典音楽のライブだったのだが,超満員。暖かかったのでテラスにも人が満員。ふと見ると音楽を聴きながらテラスの人たちは空を見上げたまま瞑想しているみたい。後で聞いたら満月がきれいだったからみんなで見ていた,そうで・・・。テラスにじかに腰を下ろして胡坐かいてコーヒー飲みながらライブを聞いていた人もいて,すごく自然だなぁとちょっとうらやましかった。
花盛りの桃の節句にインド音楽,見上げれば満月。明日はもっと暖かいんだって。なんだか,わくわくしますなぁ。
シタールのウエタさんだったか,サロードの関口さんだったか忘れました。昨日出会ったアーティストのどちらがか「明日はもっと暖かいんだって」と言ったとおり,今日は暖かい。春というよりも,初夏の風の香りがする。
朝早くからおきて,洗濯をしたり掃除をしたり。開け放った窓から花粉は容赦なく入ってきて,鼻水とくしゃみの連発。それでも部屋中の窓という窓を開けた。よどんだ気配を消し去りたかった。私は,今,再生しているのを感じる。昨日目にして感激したハイビスカスもチューリップも,今朝はもっと新しい見え方をする。コーヒーを淹れる。豆を挽いている時から幸せの香りがする。パンを焼き始める。
ベランダでしばらく土いじりをしていた。四葉のクローバーを鉢に植え替えた。みんな植物がいっせいに伸びをしている。へんな時期に挿し木をしてしまったアイビーも一度は枯れたと思っていたけれどぐんぐんと緑が増してきている。ミニバラも冬の葉の間からいくつもつぼみをつけている。アスパラガスはありえないぐらいに生長し,新しい枝は1メートル近く伸びて行き先を求めてさまよっている。同じ鉢にはどこからか飛来したなぞの植物が育ち,黄色の可愛らしい花をつけている。やっぱり枯れてもう駄目だと思っていたルッコラも白い十字の花をつけ,倒れんばかりに茂り始めた。昨日までは縮こまっていたローズマリーも新しい芽がいっせいに伸びた。バジルは季節はずれの花を沢山つけて,ランナーから土に植え替えたイチゴの苗はいくつか根付いた。イタリアンパセリは新しい芽がミントを蹴散らすように増殖し,その影でミントはけなげに新しいライナーを伸ばし始めている。小さかったテーブル椰子も気がつけば30センチぐらいに成長している。
洗濯が終わるころに,パンが焼きあがった。幸せの香りがする。しばらく蒸気を飛ばしてから,コーヒーと一緒に食べた。久しぶりにパンを焼いた。今まではパンを焼く行為というのは自分の中のあれこれの雑念や煩悩を解消するためだったような気がする。もう,煩悩パンじゃなくなってきている。純粋にパンを焼いて,純粋にその焼きあがった焼き色や形に感激する。
私の中では,風がキーになっている。温かみを帯びた風が渡っていくと,いつも新しい何かがやってくる。小さいころは風を肌に感じながらいつも高台から海を見ていた。風と海はいつも一緒だった。今は海が無いけれど,風の渡る高台にいる。自分が一歩を踏み出して再生しているのを感じたのは今回で2度目である。前回は,十数年前。畳に寝転がって天井を眺めていた。顔の上を風が渡っていった後にじんわりと訪れ,そしてジャズに出遭った。今回は,今朝目が覚めて,窓を開け,風が渡っていくのと同時に,訪れた。今年は,全てのことが,変わっていく気がする。一番明らかに変わったことは,自分が存在することを肯定していることだ。自分が許せなかったことや人に対しても,優しくなれる気がする。喪ったものや人に対しても,悲しみや喪失感や感傷ではない何かが芽生えている。何かが損なわれ喪われるということは,その上に必ず何かが再生する。ギリシャ神話にも日本神話にもそういう構造が描かれている。すごく簡単で単純な仕組みなんだねほんとは。
昨日からにらめっこをしている曲のコードがいまいちぐっとこない。歌ったりコーヒーを飲んだり筋トレしたりしながらコードをあれこれ考えてみる。こういうとき楽器ができるのは強みだよなぁ…。と、鍵盤をいじっていたらシンプルでまあまあいけてるコードを思いついた。ラッキー♪
さて、家の中では花が満開。暖かそうだけど夜は寒いなぁ。打ち合わせで出かけようとしたら余りに寒いのでダウンを着込む。おでんに熱燗とか、いいかも。。。
昨晩のこと、いろいろ打ち合わせをメールと電話で深夜やっていた。一段落して、さてコーヒーでも飲むかと思っていたら電話が鳴る。見ると上司から。さっき電話を切ったばかりだったので何だろうと出ると、明日大切な席があるのに、花を生けるのを忘れたという。
あれこれどこに頼もうとかどうしたらいいかなどと話していたらめんどくさくなって来たのでつい「私やりましょうか」と。すると上司は「え?できるの?」ときく。出来る出来ないではなくてやるかやらないかの話なんだけどなぁ。わらいながら、花生ければいいんですよね?大したことないよ、多分と言ってみた。えーならばお願いしたいかも!と上司が言っているのでほかに手段がなければね、と言っておいた。
えー結論からもうしますと、他に選択肢がなく生けました。分かったこと。私は食べられる物と飲めるもの以外興味が持てないってことと、お花をいけるのは難しいってこと。でも,この大切な席に出られる皆様がみんな幸せであればいいなぁと思いながらいけました。いけたっていうか,デザインした。花の立ち姿としなだれ具合を。ばらすんだ!とか思いながら(笑
ちなみにあたしは,前衛の造形モノなら理解できる気がする。お花はちなみに桃とこでまり。桃はお部屋が暖かくなると花が開く仕組みなのだ。開いたかなぁ。上司に後で聞くと,ありよあり!よかったよかった,と喜んでくれました。新たな世界が開けるのか?いや,ないだろうな。相変わらず食えない,とか思うんだろう。花より団子です。確実に。
ベランダのイタリアンパセリが急に背が伸びだした。花芽をつけている模様。下のほうが枯れて来るのでむしっていたら,茂っていたイタリアンパセリの葉っぱの下で何かが動いている。んー??と思ってみてみるとかわいいかわいいヤモリ君でした。「まぶしいからやめてよぅ」って感じで葉っぱの下に隠れようといている。うわー。かわいいなぁ~と思ってしばらく眺めていたら,むしったパセリから芋虫がポトリ。あれ,と思っていたら,「あ!」って感じで気がついたヤモリ君が,スタタタタとよってきて,パクリ。えええええ。こんな箱庭で小さな食物連鎖が生まれてますよ。すごいなぁ・・・。ちょっと感激した。
願い空しく頭痛で一日が始まる。でもねー,いつまでも寝てるわけに行かんので,早起きをして掃除洗濯。頭の右半分が死んでいても動けるもんです。ええ,何せタフですから。鉢植えたちに水をやって,見ていたらナスとトマトに花が咲いていた。きれーだなぁ。オクラもだんだん大きくなってきた。ゴーヤちゃん。ネットはってあげなきゃ。
まだ実をつけ続けているイチゴちゃんを5粒ほど収穫して食べながらハーブのプランターの寄せ植えのデザインを考える。イタリアンパセリも一緒に入れちゃおうかと思ったがあまりに根が強いのでやめた。一鉢一鉢に水をやりながら声をかけているのが楽しい。これが出来たらお掃除のおじさんに分けてあげようとか・・・。
だんだん頭痛がひどくなってきたのでコーヒーでも飲んでみることにする。今日の豆はチモール。チモールというとどうもタカシとお父さんというラーメンズのネタを思い出してしまうのだが・・・それは置いといて,チモールの豆は基本的にインドネシアの土壌になるのかな,かなり美味しいです。酸味と苦味のバランスが取れていてのみ易いんじゃないかな。
ふと思った。大抵ぐうたらでサボり魔なんだけれど,頭痛なのにこうやって動いてやろうとか思う気力を持ってるってことは,実は案外根本ではぐうたらでもサボり魔でも無いんじゃないの??でもねー,そこのまじめで頑張りやの部分があるとして,その部分が顔を出すのはほんの数%だね。ちょっと自分の生き方を変えよう。とか,生意気に思ってみる日曜の昼。
入梅しましたかね。雨がちです。午前中んー,やばい雨が降りそうだと思いつつ早くから傘を持って近所に出かけていたら,用事が済んで帰ろうと思ったときには驟雨。ピクルス用の酢を買うのを忘れたまま家に帰ってきてしまったので,野菜がへたらないうちに買わねば。。。がしかし雨嫌いの私がこの雨の中でかけるのか・・・?まぁでも昨日,私が雨がいやだいやだといっていたら,橋本さんが「来るべきものだから,来るべきものが来たって感じだよね」と達観した大人の意見を述べていたので,ふむ,そうか。となぜか納得したりして。。。
が,へたれな私は,雨やまないかなぁと窓を眺めております。
ひょっこり目が覚めた。ああ,随分明るいから昼に近いんだろうか,と思った。そのまま如雨露に水をいれて鉢植えたちに寝ぼけ眼で水をやっていた。昨日はえらく眠くて気がついたら寝ていた。電気もPCも点けっぱなし。いかんなぁ。窓を開けるとすごくさわやかな風が吹き込んでくる。ふむ。今日は静かな昼なんだなぁ?と思いつつ,PCの前に向かって仕事のメールチェック。あれ,今日はちっとも仕事のメールが来ていないぞ。重ね重ね静かな日だ。洗濯でもするか。
洗濯をしながら鉢植えのチェック。ミニバラはおかしくなっちゃったぐらいに沢山花をつけているが,以前から悩まされている葉ダニの被害がひどくなっている。葉ダニにやられると,葉っぱが駄目になってしまうので光合成バランスがおかしくなっているはず。しかもこんなに花をつけたら株に負担が大きいから,どうするかなぁ・・・。
すぐ隣にアメリカンブルーとアスパラがあるんだけれど,アメリカンブルーも葉ダニ被害があったのだが,これはどうやら収束しつつある。その横の四葉のクローバーたちも,若干の被害・・・。葉ダニ用の薬をかけてみているのだけれど,あまり効かない。アスパラは・・・なんというか傍若無人に延び放題です。でもアスパラの葉っぱにとても癒されるのでもっと伸びてもいいかななんて思うが,ちょっとでかすぎるかなぁ・・・。
別の場所に移動して野菜たちをみていると,先日一番茄子をあわててとった茄子が2個目が大きくなってきていた。ほ。よかった。茄子も可愛いなぁ。
隣のトマトはミニトマトだと思って購入したものなんだけれど,ありえない大きさなのでどうやらミニトマトではないようだ。んー。あの時ミニトマトの隣にフルーツトマトがあったので,それ買って来ちゃったのかな。まぁいい。でも,ミニトマトだと思って育てていたら実がどんどん育つので最初「何が起こったんだ??」と思った。オクラは,美しい花を咲かせています。オクラの花はほんときれいだと思う。形はタチアオイの花に少しにて,薄黄色。ゴーヤちゃんの花もきれー。元気出る。
今度は洗濯物を干した後にベランダの鉢植えたちをチェック。ハイビスカスが花芽をつけ始めたのでまた沢山咲くといいなぁ。それにしてもどんどん大きくなる・・・。ローズマリーも椰子も結構調子がよさそうだ。ハーブたちもすくすく。ミントはやっぱりイタリアンパセリとプランターを分けて正解。全然元気なかったのだけれど今ではイタリアンパセリと同じぐらいに茂っていていい感じ。
しかし,今日は本当に静かだ。昼なのに全く人通りが無い。車も通ってない。なんか変だな,暑いからかな。と思って時計を見ると・・・朝の7時前だった。。。夏になると傾向として早起きになるが,5時ごろおきていたらしい。ははは。ラジオ体操いけるね。
今年初めてのトマトの収穫。なんだかめっきりアグリカルチュアルな人間になっている。赤くならないなぁと思っていたら,いきなり色づき始め,今朝見たときはもう結構いい色だった。もう少しかなぁと思って,夕方帰宅したときにみたら,スーパーで売っているのと同じぐらいの色になっていた。
私の中ではトマトを食べるのは,太陽を食べるのと似ている。もとい,自分で手をかけて?育てた野菜はみんな太陽を食べてるみたいなんだけど。この前わたしがアグリカルチュアルな人になったのはかれこれ10年以上は前だ。そのとき育てたピーマンの美味しさにびっくりして以来,ピーマンが好物になった。それまであまり好きでも嫌いでもなかった気がする。
トマトは難しそうだったのでうまく育つかなぁと心配していた。しかも前書いたようにミニトマトだと思って買ったのが実は普通の中玉のトマトの苗だったらしいので,余計大丈夫かなぁ?と思っていたのだが。無事収穫。
トマトが取れた,と母に電話をしたら「可愛くて食べられないでしょ」と言っていた。わからないでもないが,食べた。すごく控えめに言っても,果肉は柔らかく,美味しかった。野菜などを育てて食べるって,人が農耕民族になってから脈々と続いている大地とのつながりなので,そういう意味合いにおいてもなんだか感激する。収穫後にはお礼の追肥をするんだって。なんか,ささやかだけど,大地とつながっている記憶をなぞっているようで楽しい。